【報告】
ロンドンのスピーカーズコーナーで演説してみた。

ロンドンのハイドパークという公園の一角にスピーカーズコーナーという場所があり、 一般市民が自分の言いたいことを好き勝手に演説しているという。

高校生の頃にその話を聞いて以来、ぜひ一度行ってみたいと思っていた。

いつの日か、日本にもスピーカーズコーナーのような場所ができればというのは、 僕のひそかな願いでもある。

幸いにしてイギリスに行く機会を得たため、言論の自由を堪能するべく、 スピーカーズコーナー見学の計画を立てていたのだが、 ロンドンで家に泊めてくれたイギリス歴三年の友人にその話をすると、

「そんなの知らねぇよ。もう無いんじゃないの」

と、にべもなく否定された。

ちょっとめげた。

それでも一応、足を運んでみることにする。

ちなみにその友人、ロンドンでファッションの勉強をしている若きデザイナーであり、 街頭演説文化に興味がなくても仕方ない。

五月のイギリスは曇り空。 霧のような小雨が断続的に降り続き、「一日に一年の天気がある」とイギリス人は言ったりする。

雨の合間を狙って、地下鉄でハイドパークに向かった。

時刻は午後四時。 北国の夏は日が長く、まだまだ長い午後が続く。

駅の階段を上がると、また降り出した。

雨の中、演説する人はいるのだろうか。

ハイドパークは140ヘクタール。東京の日比谷公園の10倍という巨大な公園である。
北東の角にマーブル・アーチと呼ばれる大理石の門があり、その内側、直角三角形の舗装された部分がスピーカーズコーナーである。
斜辺に相当する場所に柵があり、その外には広い芝生が広がっている。

スピーカーズコーナー自体の広さはサッカーグラウンドの四分の一くらい。

あたりを見回して見る。

いた。

小雨降りしきる中、ビール瓶を入れる青いプラスチックケースの上に、初老の男性が立っていた。

薄手のジャケットをはおって、傘を差している。

その正面に若いカップルが立って、三人で何やら話し込んでいる。

柵の向こう、芝生の中にも人だかりがあり、そちらの方が人数がかなり多い。こちらには三人しかいないので当然であるが。
台の上に立った演説者が二人いて、時折、大声で叫んでいる。
そちらにもかなり興味を引かれたが、とりあえずはこちらの議論を聞かせてもらうことにする。

三人の真横に立って、

「何の話をしてるんですか。入れてください」

と頼むと、演説者のおじさんが無愛想な顔をして、

「そんなこと言われると、逆に喋りにくいんだが」

しばらく口をつぐんでいたが、やがて気を取り直してカップルの男性への質問を再開した。

「君は経済学を学び、大学で研究者の職を手に入れた。日々の食事には困らず、夜風をしのぐ屋根もある。だが、それによって得られた自由な時間に、君は何をしているんだね? 君が本当にやりたいことは何なんだい?」

聞かれて、ちょっと考え込む男性。

「それは……」

たどたどしい発音の英語で口ごもる。外国から来た観光客のようだ。
女の子の方も、大きめのバックパックを背負っている。

「つまり、君が働くのはいったい何のためなんだい?」

たたみかけるように訊いてくる演説者のおじさん。

いきなりそんなことを聞かれても、困ると思う。
逆人生相談だ。無理矢理悩みを作らされているような。

青年はあまり自信なさそうに、とりあえずといった態度で答えた。

「もちろん、やりたいことはいろいろあります。たとえばこうやってロンドンに旅行に来ることもできたし……。僕らスペインの人間にとっては、ロンドンで休日を過ごすなんて、なかなかできないことなんです」

すると演説者のおじさん、勝ち誇ったように、

「それは素晴らしい。だが、それが君の存在する目的なのか?」

いきなり言われて、黙る観光客青年。

「この宇宙はいったい何のために存在するんだと思う?」

話が急激に大きくなっていく。

宗教家だろうかと一瞬疑ったが、そうでもないらしい。

「宇宙が存在するということ。これ以上不思議なことが、この世の中にあるだろうか。こんなに神秘的なことを、君は考えてみようと思わないのか? 私は君にそういうことを疑問に思って欲しいんだ。不思議に感じて欲しいんだ」

しばらく聞いていたが、おじさん自身、答えは持っていないらしい。
そういう哲学的な問いを大切にしたい、というのが演説の趣旨のようである。
そのようなことに思いを巡らすことが、人生において一番大切と考えているようだ。
現代のソクラテスか。

「自分が存在するということの不思議、宇宙が存在するということの不思議。そういうことを考えて欲しい」

雨はさらに強くなる。

沈黙するスペイン人カップル。

「僕はずっと中学高校で数学の教師をしていたんだ。ほとんどの生徒はこういうことを疑問に思わない。僕は彼らに疑問を抱いて欲しくてね」

おじさんの言葉に熱がこもる。

「ここにいれば、そういうことに興味を持つ人と出会えるチャンスがとても高い。だからいつもここに立っているんだ」

急ににっこりと笑って、

「雨も強くなってきたし、この近くにあるスターバックスに行って話さないかね」

スピーカーズコーナーで喋ることにはこだわりがないらしい。

カップルは何かスペイン語で相談した上で、「行きます」と答えた。

僕もついていくことにした。

他の演説者も気になるが、戻ってきても、まだ続けている気がする。イギリスの夏の宵は長い。

公園を出て、大通りを数百メートル歩き、街角の小さなスタバに入った。

おじさんはポールさんと言って、68才だそうだ。
学校で数学を教えている頃も、いきなり生徒に哲学的な問いかけをしてしまう先生だったらしい。

「彼らに不思議に感じて欲しかったんだ。興味をそそられて欲しかった。そう、この言い方、僕は結構好きだな。そそられる。(I wanted my students to be puzzled. I wanted them to be intrigued. Yes, I like this expression, "intrigue".)」

スピーカーズコーナーには毎週日曜日に来ていて、もう三十年も続けているとか。
昔からこういう哲学的な話のできる相手を探していたらしい。
スピーカーズコーナーの場合、興味の持った人が集まって来るだけなので、無理矢理議論を聞かせないで済む。
聞きたい人は聞く、聞きたくない人は聞かない、という点において、これ以上の場所は無いと思っているそうだ。

カップルは旅行で来ているらしく、男の子の方はフリオといって、経済学の研究者。女の子の方はカロリナといって、内科医。

カロリナがポールさんに言う。
「スピーカーズコーナーは最近、宗教的な議論の場になってしまっているというのを聞いていて。あなたみたいな人と会えて良かった」
「奥の方の連中はみんなそれさ」とポールさんは首をすくめる。「キリスト教、イスラム教……」
「議論になるんですか?」
「一度、パキスタン人の間でケンカになったらしいけど。普段はみんな、冷静に議論しているよ」

スピーカーズコーナーで喧嘩。
恐るべし。

「おじさんは何を喋るでもなく立っていたものだから、最初は何なのだろうと思いましたよ」とフリオ。
「立っていただけなんですか」
「そう。議論する相手が来てくれるのを待っていたんだ」

スピーカーズコーナーにもいろいろな使い方があるものだ。

ポールさんは不意にテーブルの上に手を出し、人差し指を伸ばして言う。

「ちょっと見ててごらん」

何かマジックでも見せてくれるのかと思いきや、いきなり指を曲げた。

そして、得意げに言った。

「ほら。今、何が起きたか分かるかい? 指が曲がるのは、脳から指に信号が送られたからだ。だが、僕が指を曲げようと思うその時、脳の中でいったい何が起きているのか。僕の意志と指の動きを結びつけているのはいったい何なのか? 不思議だろう?」

ちょっと不思議な人だ。

「それは外界からの刺激がきっかけとなって、脳の中に指を動かそうという思考が生じて……」
「外界の刺激が原因となって、我々の意志は生まれているというのかい」
「そうなんじゃないですか」
「そうかな」

ポールさんは腕を組む。

「だけど、僕も意識の存在に関しては不思議だと思います。どうして僕の脳の中に、意識というものが存在するのか」
「意識というより、自意識の問題だ」とポールさん。たしかにそう言った方がいいかも知れない。
「なるほど。意識が生じるのは意識について考えることができるからか」
「無限後退になりそうだけどね」
「無限後退だと、何か問題がありますか?」
僕がつっこむと、少し考えてから、にやと笑って、「問題だろう?」と開き直った。

「さっき、なぜ宇宙は存在するかという話をされていましたけど」
「うん、言っていた」
「そういう答えられない問いに対しては、問いの立て方自体を検討する必要があるんじゃないでしょうか。たとえば、“なぜ”って、どういう意味なんでしょう?」
「そうだね。その問いは何を“意味”するのか、という問題もある。意味の問題もなかなか興味深い。ヴィトゲンシュタインは読んだかい? 言葉がどのように扱われるかを記述すれば十分という話だが……」
「難しい」
「よくできた言語というのは、意味を直接伝える性質がある。たとえば Door、Dooor、Doooor, Dooooor、という風に、次第に伸ばしながら発音していくと、ある瞬間から音の方に意識が行くだろう? ということはその時まで、音は意識されていなかったということだ。つまり何を聞いていたかといえば、“意味”を聞いていたわけだ」

ポールさんが滔々と話し続けるので、カロリナが口を挟んだ。

「私は、そういう哲学的なことより、むしろ自分を取り巻く物事に興味があって……」

常識人である。

「哲学者は問題を複雑にしようとするけど、世界はすでに複雑なのだから、今ある問題を解決する方が大事だと思うの」

非常にもっともな意見である。ポールさんは彼女を「プラグマティスト」と呼んだ。

「でも、自分に意識があるということは不思議に思いませんか」と僕。
「それほど不思議かしら? 意識だって、ひとつのプロセスでしょ? 原因があって、結果がある」
「物質主義、ですか」
「そうね」
「それじゃ、カロリナさんの体の分子をひとつひとつ複製したら、そこにもカロリナさんの意識は発生するのでしょうか」

ラテン系でかなり美人な彼女、眉をひそめ、カールのかかった茶色い髪の先を指で撫でながら答える。

「それは、実際に行われるまでは分からないわ。そういうことが実際に起きるまで、議論しても仕方ない。ほら、ちょっと違う話かも知れないけど、最近、同性婚のカップルが養子をもらっていいのかというのが話題になってるでしょ。それなんかも、実際に行われてみないとどうなるか分からないと思うの」

ちょっと話がかみ合っていない気もするが、それはそれで興味深い問題である。『お父さん1とお父さん2』みたいな環境で育てられる子供は、現代においてはいろいろ悩みが多そうな気がする。ヨーロッパではすでにそんなことが問題になっているのか。進んでいるな。

だが、ポールさんはそんなことには興味ないようで、悩ましげにつぶやく。

「ファインマン物理学にエネルギーについて述べた箇所があるんだが、エネルギーのいろいろな例を挙げたあとで、『結局、エネルギーが何であるかについてはよく分かっていない』と書かれているんだ。僕はそれを読んですばらしいと思ったよ。そう、エネルギーが結局のところ何であるかは、誰にも分からないんだ」
「そもそも何であるかは分からなくても、それがどう振る舞うかが分かれば十分なのでは?」と僕。
「そうかな」
「そうですよ」
「閉店します」

店員の女の子がやってきて、僕らを追い出そうとする。
時刻はまだ七時半。ずいぶん早い閉店だが、日曜日だからかも知れない。
ロンドンは高緯度の上、夏時間も使われているため、今の時期、七時半ではまだまだ明るい。
日が沈むのは午後十時だったりする。

店を出て歩きながら、ポールさんに言ってみる。

「さっきのファインマンの話ですけど。もしも人間が触覚や平衡感覚を持たなくて、視覚だけの生き物だったとしたら、質量によって引き起こされる様々な現象を並べたあとで、『結局、質量が何であるかについてはよく分かっていない』と書くんじゃないですか」
「なるほど、それはあるかも知れないな」とポールさん、うなずく。

三人と別れた後、僕はふたたびスピーカーズコーナーに向かった。

今度は芝生の中で叫んでいた人たちを観察してみる。

公園の芝生を横切る小道に沿って、いくつもの人だかりが連なっている。
人数は全部で五十人近くいるのではないか。
それぞれがグループを作り、口角泡を飛ばし合っているのだが、たしかにポールさんが言っていた通り、イスラム教徒とキリスト教徒の論戦のような感じだ。

台の上に立っている演説者が二人いるが、演説者と聴衆に完全に分かれているのではなく、あちこちで五人ずつくらいのグループになって議論が行われている。
演説と議論が連続して存在している感じだ。
これこそがスピーカーズスクエアの醍醐味なのかも知れない。
聴衆から飛ばされる野次がいつしか議論に発展することもある。

一番大きな集まりに入り込むと、台の上に立っていた演説者が大声で叫ぶ。

「イスラム教徒がスペインを占領した時、誰も殺すことはなかった。キリスト教徒には信仰の自由を与えた。ただ、政治だけは自分たちが行うと言った。それによって平和をもたらしたのだ」

別の集まりでも同様にミニ演説、あるいはミニ議論が行われている。

「コーランの内容は現代科学の完全に一致している。矛盾はひとつもない」

「中世のイスラム社会で科学がどれだけ進んでいたか。代数も化学も、語源はアラビア語だ。それがヨーロッパに伝えられたのだ」

一方、キリスト教徒たちは「俺たちはローマ人によって文明化されたんだ」などと反論している。

だいぶ古い話である。日本で歴史問題とか言われているものより、かなり古い歴史問題だ。

ポールさんやスペイン人カップルが疎んでいた、「最近のスピーカーズコーナーは宗教的議論ばかりになってしまった」というのはこういうことか。

小さな椅子の上に立って、禿頭のおじさんが声を張り上げている。
意図して滑稽な喋り方をするので、みんな笑う。

おじさんはイスラム教徒のようであるが、彼がその上に立っている椅子は、横にいる黒人男性から奪ったものらしい。そちらは片手に「聖書に書かれていること」という本を持っていて、クリスチャンのようである。

イスラム教徒のおじさんは、「そう、彼が言っていることももっともだ」などと黒人男性の肩を叩きながら、イスラム教の正当性を主張している。

ぐじゃぐじゃである。

だが、熱く議論しているとは言っても、多少余裕のある雰囲気が漂う。

あえてぐじゃぐじゃにして、みんなでひとつのパフォーマンスを作り上げているみたいだ。

誰も拡声器など使わず、声を張り上げて演説しているのはなかなかのものである。

僕も何か言いたい。

だが、誰もが議論に熱中しているため、台の上にでも立たなければ聞いてもらえなそうである。

いろいろ探した結果、近くのバス停に置かれていたゴミ箱が移動できることを発見した。
一時的に失敬して転がしていき、議論している人々の真ん中に置き、その上に立った。

そして、大声で叫んでみる。

「みなさん! 仏陀の教えを聞いてください」

かなりの人がこちらを見た。

「人生は無意味です!」

それなりに反応があった。

「仏陀の教えは平和の教えです。宗教を巡って争うのはやめましょう」

声を張り上げて喋り続けていると、徐々に人が集まってきて、次第に演説っぽくなってくる。

聴衆の中にいた若い白人男性がつっこみを入れてきた。

「人生が苦しみなら、なぜ君はそんなにニコニコしているんだ? (If life is suffering, why are you smiling?)」

鋭い指摘だ。
その理由は僕にもよく分かりません。

なお、僕は「人生が無意味(life has no meaning)」と言ったのであり、「苦しみ(suffering)」という言葉はまだ使っていなかったわけだから、彼はどうやら仏教についてそれなりの知識のある人のようである。ひょろりとしたインテリ風の男性だ。

一方、野球帽にトレーナー、ぼってりしたズボンというラッパーのような格好をした高校生くらいの男の子が最前列にいて、生意気そうに言う。

「仏陀は人間が作り出したものだろう? 自分たちで彫った仏陀を拝むなんて、おかしいじゃないか。それよりか、人間を作り出した神の方が偉いに決まっている」

仏陀は実在の人物ではないと認識されているようだ。
さらに、仏像と仏陀が同一視されている。

すると先ほど口を挟んだインテリ風の白人男性が僕に代わって答えた。

「仏陀は実在したんだぜ。インドの王子だったんだ」

くわしい。

「仏陀は中国人じゃないぞ!」ちょっと太めのアラブ系のおじさんが横から言った。
「もちろんです。仏陀はインド人です」と僕。
「そうだ。仏陀はヌードルを食わない」アラブ系が笑いながら言う。「あんな太ったやつのことをどうして崇める? 人生が苦しみなら、なぜ仏陀はそんなに太っていたんだ?」

若い白人男性が答える。

「太ってないよ。実際の仏陀はやせていたんだ。それを彼の崇拝者が太ったように描いたんだ」

面白い集まりである。
みんな、議論が大好きなのであろう。
自分の主張を広めることより、単に議論をしたい人がこういう場所に集まってくるのではないか。

様々な年代からなる聴衆だが、下は小学生から、上は六十代くらいまで。

議論を聞きに来ているだけの人も多そうである。

演説を始める時、少し離れた場所に自分の傘を立てかけておいたのだが、聴衆の規模が大きくなったため、わざわざゴミ箱の下に持ってきてくれる人がいるなど、結構親切。

中東系の顔立ちをした小学生くらいの女の子が言う。

「壊すことのできる像をどうしてあがめるの?」

先ほど不良っぽい男の子が言っていたのと同じセリフである。
イスラム教の学校では一般に、偶像は壊せるからそんなものを拝むのはおかしい、と教えるのかも知れない。

「仏像を拝むのじゃなくて、仏像に象徴されている思想を拝むのです。教師が教えてくれる内容を信頼することと、教師の人間性を信頼することは別でしょう? それと似た感じですよ」

あどけない子供たちに適当なことを言っておく。

最前列にいた色黒で髭面の男性が口を挟んだ。

「仏教は宗教ではなくて哲学だろう?」
「え?」
「仏陀は神を崇めろとは言わなかった。自分を崇拝しろとも言わなかった。仏教は本来、宗教というより哲学なんだ」

たしかにそれは言えるかも知れない。
なぜそんなにくわしいのだ、この人。

不思議に思ったら、スリランカの出身のイスラム教徒とのことであった。
なるほどそれなら仏教徒が身近にいてもおかしくない。

ブハリさんというその男性、手に持ったカラー印刷の薄い冊子を広げて説明を始める。

「コーランには人間の胎児がヒルのような形をしているということが記されている。それから海流の動き、地殻の構成。最近になって明らかになった科学的な事実と完全に一致しているんだ」

学問を学んでいないモハメッドがそこまで科学的な事実を知っていたということはありえない、だからコーランは神の言葉だったのだ、という論法。

先ほどのひょろりとした白人男性が反論した。彼は本当に議論好きという感じである。

「だけど、モハメッドは商人だった。当時の最先端の知識に触れられたとしてもおかしくないだろう」

すると別のアラブ系男性が答える。

「君はさっそく矛盾している。モハメッドは商人だが、アラビア半島の外はダマスカスまでしか行ったことがないんだ」
「ダマスカスは都会だろ」
「イスラム教が栄えるようになってから都会になったんだ。モハメッドの時代にはまだ小都市だった」

なんだか歴史学みたいな議論になってくる。

まわりの人があまりにもやかましく喋るので、演説者である僕は聞くだけになってしまい、まったく演説になっていないので、ゴミ箱から降りて、議論の輪に加わった。
ブハリさんが冊子の一節を指さして言う。

「だが、イスラム教そのものは科学じゃない。カール・ポパーの反証主義で科学を定義するとしたら、イスラム教は科学にはならない。コーランの教えが否定されることはないからね」

褒めてるんだか何なんだか。
議論する内容が宗教であっても、結局はインテリの集まりということか。

そのような議論が延々と続きそうだったので、しばらく彼らのイスラム談義に耳を傾けた後、撤収することにした。

スピーカーズコーナーでの議論は、いつ果てるともなく続くのであった。


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別の日に撮影したスナップショット。

この人はキリスト教系。

同じくキリスト教系。

ユダヤ教系?

このおばちゃんは排外主義者。
「外国からの移民はイギリスから出て行け!」と主張していました。

イラク戦争でどういう人たちが死んでいったか。

 

℃ Taro Tezuka 2006
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