【体験報告】
右翼の街宣車に乗せてもらった!
念願の、右翼の街宣車に乗せてもらえた。嬉しすぎて、替え歌。ブルーハーツの「殺しのライセンス」のメロディで。
♪ 右翼のガイセンシャ、右翼のガイセンシャ、
右翼のガイセンシャを道で拾った
信じられないな うれしいな
右翼のガイセンシャを道で拾った
その経緯は以下の通り。
常々街宣車に乗せてもらいたいと思っていた僕はある日、四条大橋の上に停車している街宣車を発見。走り去られる前に、全速力で駆け寄った。フロン
トガラスの向こうにはイカツい顔したお兄さん。筋トレとかバンバンしてそうなマッチョな体で、口ひげを生やし、いかにも右翼。怖くなってやめようかとも
思ったが、よく見るとマクドナルドのフライドポテトをむしゃむしゃ食っている。それを見たら少しだけ話しかける勇気が湧いてきて、緊張しながらドアの横に立った。するとお兄さん、車のドアを大きく開けて、のっそりと出てくる。
「なに?」
威嚇するような雰囲気ではない。
「あのう、昔から街宣車というのに乗ってみたかったんですけど、乗せてもらえませんか」
単刀直入にお願いしてみた。
「共産党じゃないやろな?」
「共産党は、怖がって近づかないでしょう」
「じゃぁ、乗ってき。どこで降ろしてもいいんか?」
「はい、市内でしたらどこでも」
いとも簡単にOKをもらえてしまったので、逆に驚いた。
車に乗り込んで、さらに驚いた。後部座席に小学生くらいの女の子がふたり乗っているのだ。そして、マクドナルドのコーラを飲んでる。なんだこの平和な雰囲気は。さらにその隣には、迷彩服にサングラスのおじさん。年齢は分かりにくいが、六十代くらいか。胸には若干大きめの日の丸ワッペン。そしてこのおじさんまでフライドポテトを食べているから、和む。
「先生の話でも聞いとき」とお兄さんが言う。日の丸ワッペンのおじさんがこの会の先生にあたるようだ。車に乗っているのは四人だけ。車内もそれほど広くない。3列の座席があるだけで、その奥は扉で仕切られている。
「あの向こうはどうなっているんですか?」と尋ねると、先生が立ち上がって後ろまで行き、扉を開けた。
「ここで寝たりするんだ」
車の奥が広い部屋になっている。しかも、畳敷き。
「皆さん、ここで生活されているんですか?」僕が本気でそう思って尋ねると、
「いや、違うよ。遠征行ったりする時とかね」と笑いながら答えた。
「遠征ってのは、大きな大会とかがあるんですか」
「いや、自分たちでまわるんだ。西は沖縄から、東は北海道まで。毎年、北方領土返還闘争に行くから」
名刺を渡された。先生が支部長で、お兄さんは常任参与らしい。お兄さんがエンジンをかけた。先生が、「じゃぁ、共産党の前に行こか」と、不気味なくらい平然として言う。「あ、はい」とお兄さんが応じる。やはり、共産党が第一目標か。
街宣車は京都府庁前の共産党事務所に向かって北上する。京都御苑のわきを走りながら、先生が言った。
「昔、京都にあった皇居には、柵も塀もなかったんだ。それが明治になって、国家権力が介入して、天皇制を利用した。江戸城っていうのは堀も石垣もあって、権力の象徴なんだよ」
「じゃぁ、明治維新よりもっと前の天皇制にするべきだってことですか? そういえばうちの父親もよく『権力と権威の分離』とか言ってましたけど。昭和の初めに皇道派というのがあったんですよね。天皇と直接の繋がりを求めるという」
「そう、考え的には皇道派に近いね。私なんか、生まれは貧しいし、学歴もない。だから、皇道派の考え方にはおおいに共鳴するところがあるよ」
なんだか話し込んでしまう。
「高校生の時から勉強を始めてね」先生が説明する。「それで、20年前からこの活動をやっているんだ」
ご自分のこれまでの道のりを語ってくれる。すごく和やかな雰囲気。
お兄さんが僕のことを見て、にこにこしながら、「最初は、これかと思ったわ」と、指で輪を作って額に当てる。「何ですか、それ?」「けーさつ」。
フロントガラスの向こうに共産党の事務所が見えてきた。先生がマイクを手に、演説を始めた。
「マルクス・レーニンの考え方には、それなりに学ぶべきところもあります。だが、共産主義は結果として何をもたらしたか? 独裁と、粛清であります」
ポルポトや北朝鮮の話をする。
「共産党の毒牙にかかってはなりません。『環境何とか』だとか、『何とかボランティア』などの後ろには、必ず共産党がいるんです」
「先生の話、メモとらせてもらっていいですか?」とお兄さんに尋ねると、「今度、テープ持ってきて録音したらええ」と、カセットデッキを指さした。
やがて共産党事務所の前まで来て、街宣車は停車する。それを待ちかまえていたかのように、併走していたパトカーが目の前で停まった。警官が降りてきた。
「停まったらあかんで」「はいはい」とお兄さんは慣れた様子で、車を発進させた。警官の人も慣れっこという感じで、そのまますぐパトカーに乗り込んで、街宣車の前を走る。
堀川通りで南に曲がって、次はどこに行くのだろうと思ったら、先生が「公明党の前で」とボソリ。お兄さん、「ゆっくり行きますわ」と、阿吽の呼
吸。二条城の横を走りながら、再び演説が始まる。窓の外を見ると、通りの人がほぼ全員こっちを見ている。車の中だとそれほど大きな声に聞こえないが、たぶ
ん、すごく大きな音を出しているのだろう。
「政治と宗教。この組み合わせは、まさに狂気。戦争まで紙一重であります」
先生は創価学会批判を続ける。堀川沿いの芝生でピクニックしていた家族連れがいて、男の子がオーバーに耳を塞いでいた。
「創価学会のやり方は、まさにしつこいのであります。一度食らいついたら、どこまででも追いかけてくる。そこが宗教の恐ろしさなのであります」と
言ったところで、運転のお兄さんが突然笑い出す。後ろに座った女の子、立ち上がって、「笑ってるわ。アホやわー、お父さん」。「何か、経験をお持ちなんで
すか?」と僕が尋ねると、うんと頷いた。
先生が演説をやめ、僕に話しかけてきた。「君、喋りたいこと、ある? なんでもいいよ。思ったことを言えばいい」とマイクを差し出す。実は少し喋
りたいなと思っていたところだったのだが、すぐには言葉が思い浮かばないので、後でということになった。五条通りを曲がったところで、トイレ休憩。女の子
たちはどこかに行ってしまう。お兄さんも車を降りたが、驚いたことに、使い捨てカメラで自分の街宣車の写真を撮り出す。やはり、街宣車を深く愛しているの
だろうか。すると、青いジャージーを着た別のおじさんが、お兄さんの横にやってきて、話し始める。振り返ると街宣車の後ろにバンが停まっていて、その車体
には街宣車と同じ勇ましい文字が踊っていた。バンに乗っていたのはふたりだけだったが、やがてお兄さんや先生と一緒に記念撮影を始めた。促されるまま、僕
も写真に入れてもらった。
車が再発進し、ついに僕が演説することになる。露骨に他の団体を批判する気にもなれないし、抽象的な意見を言ってお茶を濁すことにした。
「あれも反対、これも反対、反対ばかりの団体ばかり。反対するのは簡単ですが、その先にどんな世界を思い描いているのか。未来を描くためには、過去を知らなくてはならない。歴史の中にこそ、学ぶべきものはある。
「たかが20年、30年、あるいは40年の人生。それが皆さんのすべてなのですか。本当にそんなにちっぽけなものなのか。いや、そうではない、自
分とは、生まれた時に始まるのではない。両親や祖父母、そのまた祖父母、それらのすべてを継承したものとして、自分は存在しているものではないのか。長い
歴史は、まさに自分自身の歴史なのではないでしょうか」
ちょっと趣旨と違うかとも思ったが、マイクを置くと、お兄さんが拍手してくれた。先生も、「うまいうまい」と言ってくれる。「あたり、やろ」とお兄さんが先生に言った。
僕が演説をやめたので、場つなぎにお兄さんがテープを流す。さっきまでの軍歌とは違う、唱名のようなものが流れる。
「この、お経みたいなテープは何ですか?」「これは、本願寺」そう言って先生は笑った。
お兄さんが僕の方を向いて言う。「さっき撮った写真な、欲しいようやったら、また連絡してもらって。待ち合わせして渡せるし」と、非常に気を使っ
てくれている。「ああどうもすいません」「住所は教えたくないかと思うしな」と言うので、僕は思いきって尋ねることにした。「すいません。僕が心配してい
ることがひとつだけあって」、と言って、その先を言うべきかどうか迷ったが、やはりどうしても聞いておきたくて、続けた。「友達に言わせると、右翼は暴力
団と繋がっているって言うんです」。「ふ〜ん、暴力団、ね」とお兄さんが意味ありげにニヤっと笑った。結構こわい。すると先生が、「個人的には、繋がりが
あるよ」と、率直に認めた。「考え方に共鳴する人間ならば、暴力団だからと言って追い払うわけには行かないだろう」「でも、暴力団なら、こんなところに子
供連れてこーへんやろ」と、お兄さんは別のアプローチで説明した。
どこをどう曲がったのか、気が付けば御池通りに戻っていて、先生がまた演説を始めた。
「第四の権力と呼ばれる報道機関、そのひとつであります朝日新聞に対し、糾弾活動を行なっております」
いくつか回るべき場所が決まっているようだ。
「皆さんもご存じの通り、朝日新聞はかつて軍国主義の宣伝塔となり、多くの青少年を戦場へと煽り立て、殺して行ったのであります」
やがて街宣車は御池大橋を渡り、川端通りを下がった。お兄さんが、先生の横に置いてあったマイクを取り寄せる。さっきまでと少し雰囲気が変わって
いる。どうしたのかと訝ると、お兄さんは前を向いたまま、「タクシーに怒鳴らなあかん」と短く言った。目が鋭い。僕はどきりとする。
三条通りとの交差点で、申し合わせたかのようにタクシーが前を横切った。すかさずお兄さん、
「どこで営業しとんのやっっ!!」。
って。さっきまでニコニコしていたお兄さんと同じ人とは思えない。すげぇ迫力。僕は凍りつく。切り替わり方が、本当に恐い。不覚にも言葉を失ってしまった。車内は沈黙する。今まで見ることのできなかった表情を、いきなり見せつけられた。
だが、びびっていたのはどうやら僕だけだったらしい。後ろの女の子が突然「おしっこ〜」と騒ぎ出す。「さっき行ったばかりやんか」って、お兄さん
はいつの間にか優しいパパに戻っている。女の子、「だって、ジュース飲んでんも〜ん」と、だだをこねた。そうして街宣車は四条大橋の東で停車した。僕が
乗った場所から、すぐのところだ。
「もし興味があったら、また連絡してくれたらいいから」
先生は最後まで穏やかに言う。お礼を言って、先生と握手して、僕は街宣車を降りた。外から見る街宣車は、あいかわらずデカかった。
数歩離れ、ふうと息をついた時、いきなり横から「精進、ご苦労さぁん!」と拡声器で声をかけられたので、飛び上がりそうになった。見ると、街宣車
の後ろを走るバンの人たちだった。「どうも」と手を上げると、信号待ちしていた人たちが一斉に僕のことを見た。その表情が何とも言えず、なかなか痛快だ。
これはクセになるかも知れない。時計を見ると二時半になっていた。およそ二時間かけて京都市の中心部を一周したのだった。
続・街宣車に乗せてもらった!
街宣車に乗せてもらうことの2回目。
4月29日は昭和天皇の誕生日であり、街宣車を出すから来ないかと誘われていたので、
その日の午後になって電話をかけた。
「ああ、君か。今、平安神宮の前に停めているし」
ひょっとして街宣車がたくさん集まっているのか?、などと変な期待をしながら
京都市美術館前に駆けつけると、見覚えのある白い街宣車が1台停まっているだけだった。
ドアから覗き込むと、前回お世話になった先生と、
初めてお目にかかる青いつなぎを着たおじさんが、何やら話し合っている。
このまえ車を運転しておられた体格のいいお兄さんとその子供たちは、いない。
車内にはふたりだけ。
「自転車、乗せたらいい。この場所に戻ってくるとは限らないしな」
そう促されて、僕は自転車を車内に運び込む。
ドアのところで自転車を通すのに苦労していると、巡査が近づいてきた。
「ちょっと」
背の高い若い警官。
「あ、どうも」先生が丁寧に応対する。「車から降りたりしませんから。まわるだけです」
「ならいいけど」
「後ろ、本部の車ついてますし」
「ああそう」
うなずいて、巡査は去っていく。
本部ってのは右翼の本部のことか? それが後ろについてまわるとは?
訝って先生に尋ねると、
「京都府警の本部。」
「ほら見てみ。覆パトや。全国どこも一緒やな。すぐ分かるやろ」と、青いつなぎのおじさん。
後ろを見ると黒い乗用車が数メートル離れて停まっている。
「ちょっと見てきていいですか?」と断って、僕は小走りに乗用車に近づいた。
運転席と助手席には、するどい眼をしたおじさんたち。
ひとりは何処を見るでもなく窓の外を眺めている。
もう一方はだらしなく背もたれに寄りかかり、伸びをしている。
晴れた休日に似つかわしくないふたり連れである。
街宣車に戻って、「ほんとですね」と共犯者的に笑う。
「あれがつくようになったら一人前なんや」
「一人前?」
「軍歌だけ流して走ってる街宣車あるやろ。あんなのは、相手にされてへんのや。すぐに駐車違反で捕まる」
街宣車間にライバル意識があるというのは、ありそうな話だが面白い。
「うちらには思想があるからな」と、なんだかかっこよく先生が説明する。
「演説するやろ。だから、こわいんや。どんなこと言ってるか聞いておいて、
あとで本部に報告しなくちゃならんのや」
「主張している内容を把握しておきたいってことですか」
とは言ったものの、僕は半信半疑である。けれど実際に覆パトがついてまわるってことは、
それなりにチェックされているということか。
「ちょっとぐらい信号無視しても、絶対捕まえよらへん」
嬉しそうにおじさんが言う。
「そろそろ行こうか」
そう言って、先生自ら運転席に座ったので少し意外な感じがした。
「じゃぁ、覆パトに言ってくるし」
と、青いつなぎのおじさん。後ろまで走っていって、しばらくして戻ってきた。
「寝とったわ。越こしてきた」
「起こすんですか!?」
予想もできない行動ばかりだ。
「起こさなかったら、可哀想だしな」と先生。
「あいつら、署に怒られるからな。業務を怠ったって。
あとで覆パトから電話かかってくるよ。『今どこにいるっ?』って」
僕は呆れる。なんと牧歌的な。
「なんでそんなに持ちつ持たれつの関係なんですか?」
「とは言っても、腹の中は探りあいよ」
そう言って先生は含み笑い。見た目ほど単純ではない模様。
街宣車が走り出す。僕はこの前から気になっていたことを尋ねる。
「このR支部ってのは、何人くらいいらっしゃるんですか」
「5〜6人くらい」
まぁこれは予想通り。それほど大きくないだろうとは思っていた。
「でも、全国的な組織なんですよね」
「三つの支部が合わさってこの会は出来たんや」
三つ!。
で、今はもっと増えたのか?と聞こうと思ったが、なんとなく遠慮してしまい、聞けなかった。
先生とおじさんは、共産党や社会党と闘ってきた経歴を話してくれる。
「昔はな、『マキエダ、殺せーっ』って叫んで。知らんやろ」
さも嬉しそうに語る。
三十年前には右翼が街宣車を出すと、共産党の支持者が屋根の上に飛び乗って、
アンプのコードを切ったりしていたらしい。
「共産党は俺らのことを敵とは思ってへん。共産党の敵は警察で、警察の敵はわしらや」
じゃんけん風のモデルを作りたい様子。
「しかし、右翼は・・・って、そんな風に呼んでもよろしいんですかね?」おじさんたちが頷いたので、「右翼ってのは、共産党とは比べ物にならないくらい組織が弱い気がしますけど」
「そう。小さい。バラバラや。うちらは政党を作ろうと試みてるんだけどな」
「たしかに、右翼の政党って無いですね」
「国会議員がひとりいるだけで、えらい違いやで」
「そしたら街宣車も減るだろうな。国会答弁で言いたいこと言えるわけだし」
街宣活動に対してそれほどこだわりがない様子。街宣車を愛していたりするわけではないわけか。
「それに、これも無いしな」
先生が親指と人差し指で円を作った。
なるほど。右翼は金が無い。そして右翼は儲からない。これは重要なことかも知れない。
たとえ日本の歴史教育を変えたところで、大きな儲けに直結するとは考えにくい。
再軍備なら多額の金が動くだろうが、だいぶリスキーな投資である。
儲かる見込みが無ければ、誰もお金を出さない。シビアな世の中だ。
「昔はな、三井がバックについてくれてね。昭和維新とかやったんや」
「昭和維新!!」
「2.26事件のことや」
「昭和維新って言葉を、今も普通に使っているとは思いませんでした」
「あれはな、お偉いさん方が裏切ったんや。まじめに上の人を信頼していたら、
最後に裏切られた。偉い人はいつでも保身に走るやろ」
なんだか生々しい話。三井の金でやったことを否定しないところが、恐い。
「まず昭和維新を断行せぇへんかったら、平成維新もやれへん」
つなぎのおじさんが付け加えたが、もう昭和じゃないのにどうやって昭和維新するのかは聞きそびれた。
ちなみに街宣車の車体には「平成維新断行」の文字。
昭和維新と違って、それほど重みが感じられないのが悲しい。
つなぎのおじさんは自分の家庭のことを喋り出す。
「うちの娘は高校の2年でな、市内の府立高校あわせた中で5番の成績。
将来は警察官になってお父さんを逮捕するって言っているけど」
おじさんは若い頃すでに何度か警察の厄介になっているらしく、今さら逮捕する必要もないと思うのだが、
それにしてもちょっと変わった家族のようである。
「でも俺が生きている間は娘は警察官にはなれへん。親族に右翼とか過激派がいるってことで、ダメなんや」
「そんな決まりがあるんですか? 親戚ってだけで?」
「差別や。家族が自民党で活動してるとかなら、問題にならへん」
どこまで信じていいのか分からないが、世の中ってのはやはり無茶苦茶なところであるようだ。
川端通りを北上しながら、おじさんは話を続ける。
「いろいろ読みたい本とかあったらな、そこに、京都書店会館ってのがあるから」
二条大橋西詰。僕が昔住んでいた家から、至近距離である。そんなところに本屋があるとは知らなかった。
飾り気のない灰色のビルの二階に洛風書房という書店があるらしい。
「維新政党新風の本部も、同じ建物の中にあるよ」
知らなかった。新風の本部って、京都だったのか。
「新風の副会長は伏見稲荷の権宮司や」
「そうなんですか!」僕は驚く。
そんなローカルな団体だったのか。一応東京でもポスターは見かけた気がするが。
「お偉いさんが来ると、そこのホテルフジタで飲むんや」
「俺らは隣の酒屋でビール買って事務所の二階で飲む」
おそるべし京都。中核派のみならず、こんな団体まで隠し持っていたとは。
「例会もあるし、遊びに来たらいい」
先生に誘われたが、遊びに行くという気分ではたぶん行けないと思う。
「昔は学生も来てたりしたんだけどな。京産大の“みしけん”とか」
「みしけん?」
「三島由紀夫研究会。」
「なるほど」
丸太町通りを西に走る。弁護士会館の横の本屋を指差して、おじさんが言う。
「あの店にはどんな本でも置いてある。弁護士が分からんことがあると、調べに行く店や。
奥崎謙三の『天皇にパチンコを撃った男』(←ちょっと書名が違う。皮肉っているのか?)とかも手に入る」
「そんな本まで読まれているんですか!?」
「そりゃぁ、敵の思想は知らなくちゃならん」
おじさんは当然のように言った。はたして左翼を自称する学生は、どれだけ右翼の思想を知っているのか。
わが身をつまされる思いである。どうやら僕は右翼の中でもインテリ集団に出くわしてしまったらしい。
インテリと言って悪ければ、よく勉強しているというか。
君が代をかけながら、河原町から四条を走る。前回は軍歌ばかり流していた。
今回は、昭和天皇の誕生日に合わせて君が代にしているのだろう。
つなぎのおじさんが演説を始める。
「先帝昭和天皇様の大御心に感謝し・・・」
原稿を読み上げているのだが、流暢である。僕にはとてもじゃないが真似できない言葉づかいだ。
「先帝」ってところがすごいな。原稿のタイトルは「みどりの日を昭和節に改称しよう」。
前回聞かせてもらった先生の演説は理性に訴える感じだったが、つなぎのおじさんのは感情に訴える形。
謡い上げるようで、名調子だ。祇園のあたりを走ると、道行く若者も観光客も、みなこちらを見る。
僕の知り合いもどこかにいるに違いない。まいったな。
五条のところで、車を停めた。
「車庫は伏見だから。遠いやろ」
もう少し話を聞きたい気もしたが、先生とおじさんの親切に甘んじて、降ろしてもらった。
「次は5月3日だし」
そう言われてすぐには分からなかったが、考えてみると憲法記念日だ。自主憲法制定を訴えるのであろう。
「また電話してくれたらいいし」
「それじゃ」
と去り際もあざやかに、街宣車は去ってしまった。
僕はそのあと二条通りの京都書店会館に行き、右翼っぽい本をいろいろ読んできた。
℃ Taro Tezuka (2002.4.29)
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