【体験報告】
将軍様の国へ(北朝鮮訪問記)
長い間あこがれていた将軍様の国への旅が実現したのは、後輩の誘いからだった。
大学三回生の秋。高校の頃に後輩だったサコから、突然電話がかかってきた。
「手塚さん、北朝鮮に行けるらしいんですけど。一緒に行きませんか」
「え。北朝鮮? 行けるの?」
「行けるみたいです。そういう旅行会社があるんです。すべてパックツアーで、自由行動は無いみたいですけど……」
サコに教えてもらったウェブサイトを見てみる。R通商という小さな旅行会社で、朝鮮旅行を専門に扱っている。北朝鮮の素晴らしさを力説する文章のあとに、いくつかの旅行プランが紹介されている。
一般的な三泊四日のコースで総額二十万円ナリ。
高い。高すぎる。韓国なら十回くらい行ける値段だ。
だが、韓国に十回行く以上の価値はあるような気もする。
「とりあえず、その旅行会社が信頼のおけるところなのか調べてきてよ」
サコは数日後、神保町にあるR通商の事務所まで実際に足を運び、調べてきてくれた。
「オッケーそうでしたよ。小さな事務所だけど、まともな感じでした」
北朝鮮に連れて行ってくれる旅行社がまともとは思えないのだが。サコはすでに信頼している様子。
「毎年何回も行ってるらしいっすよ」
行き方はこうだ。
日本には北朝鮮の大使館が無いため、いったん北京の北朝鮮大使館まで行ってビザを申請する。その場で発行してもらい、翌日の飛行機で北京から平壌に飛ぶ。
R通商はいくつかのコースを提供していて、平壌と板門店を訪ねる代表的なツアーの他、景勝地として有名な金剛山に登ったり、海岸沿いの自由貿易特区に中国側から入ることもできるらしい。
どのコースにするか迷ったが、やはり首都平壌を欠かすわけにはいかないと思って、オーソドックスな平壌・板門店ツアーを選んだ。
旅行代金を振り込み、無事に行けること、そして帰ってこれることを祈る。
そして出発の日がやってきた。
集合場所は成田空港。
指定された場所に赴くと、ちゃんと参加者は集まっていた。
今回の同行者はぼくとサコを入れて全部で六名。こじんまりとした一行である。
旅の団長はツアーを企画した旅行会社の社長。四十代くらいのおじさん。斜に構えた感じで、北朝鮮に対する態度も結構冷静。
もう一組は神戸から来た和尚さんとその奥さん。ごく普通の老夫婦だ。
最後に、東京でサラリーマンをしているという三十代くらいのお兄さん。外見はいたって普通だが、かなりの旅行好きで、たくさんの国をまわり尽くした結果、北朝鮮に行こうと思い立ったらしい。ここではリーマン氏と呼ぶことにしよう。
参加者数が少なければツアーは中止されるはずだったので、これだけ集まったのは運が良かった。
出国審査では渡航先に「中国」とだけ書いて通り抜け、成田から北京に飛ぶこと数時間。
到着してすぐに、北朝鮮大使館に向かう。
韓国大使館の前も通ったが、建物は北朝鮮大使館の方が立派だった。歴史的に中国と北朝鮮のつながりは韓国とのつながりより深いのである。
北朝鮮大使館の前には兵士が立っていた。中国人のバイトだったりするのかも知れないが、ぼくの目には彼が北朝鮮兵に見えて仕方ない。
ボディチェックを受け、大使館に入って、いきなり目に飛び込んできたのは金日成・正日父子の大きな全身画。その他、至るところに肖像画が飾られている。

子供たちに囲まれる金日成
受付でビザの申請書を提出すると、十分も待たされずに発行された。事前に旅行会社を通して申告しているから、手続きがスムーズなのである。
北京での用事はこれでおしまい。
だがあいにく、その日のうちに平壌に行くことはできない。飛行機が一日一便しかないため、北京で一泊しなくてはならないのだ。
パックツアーなので自由行動というわけにも行かず、五人連れ立ってぞろぞろと北京市内を歩く。ちなみにぼくは中国に来るのもその時が初めてだった。十二月の北京はかなり寒い。天安門広場に掲げられた巨大な毛沢東の肖像画を見て、さっそくの異文化体験にお腹いっぱいだった。
街のあちこちに立てられているマクドナルドやナイキの広告にリーマン氏が感心している。「ひとむかし前と全然違いますよ。外国企業の広告はもっとずっと少なかった」
開放経済が北京の街並みを大きく変容させているらしい。立ち寄ったデパートは日本の百貨店とほとんど変わらなかった。
夜は足もみマッサージに出かけ、翌日の朝鮮訪問に備えた。
翌朝、飛行機で北京を発ち、平壌に向かう。
機内は大量の荷物を抱えた乗客で寿司詰め状態だった。皆、申し合わせたように胸にピンをつけている。これが有名な金日成バッジ。
皆さんはおそらく中国で大量の物資を買い込み、家族のもとに帰るところなのだろう。あるいは政府の仕事としての買い出しなのかも知れない。
着陸の寸前に窓から見下ろす北朝鮮の大地は、日本や中国とあまり変わらなかった。
ゆっくりと飛行機は下降した。
空港は驚くほど小さかった。
一本の滑走路とメインターミナル。一機の飛行機。それだけである。
がらんとした滑走路を、ぼくらを乗せた飛行機はゆるゆると移動する。
メインターミナルの外壁に掲げられているのは、金日成の肖像画だった。
ぼくらはそれにえらく感動してしまう。
「うわ、北朝鮮来ちゃったよ、ついに来ちゃった」
ぼくとサコは手を取り合って喜んだ。
金日成の肖像はぼくらを歓迎してくれているように見えた。
タラップを降りて、北朝鮮の大地に足をつける。そう、ここはもうチュチェ88年12月の平壌なのだ。
乗り込んだバンから飛行機を振り返る。広大な滑走路に飛行機が一機だけ佇んでいる。その後ろは地平線まで平原が続いているのだ。雄大な光景だった。
こじんまりとしたターミナルビルはまさに地方空港そのもの。正式名称は順安空港という。
到発着の便名を告げるボードは、最初の一行しか使われていなかった。到着が一本、出発が一本。しかも、週の半分しか運行しない便なのだ。

一日一便!
制服を着た職員さんたちに荷物をチェックされる。かなり厳格に調べられるのではないかと予想していたら、実際は数十秒もかからなかったので、拍子抜けしてしまった。北朝鮮領内への持ち込みに関してはそれほどうるさくないようだ。
入国審査ではおばさんが入国カードをチェックする。
パスポートにはハンコが押されるのではなく、シールが貼り付けられた。
「これが助かるんですよ」団長が言う。
「どうしてですか」
「北朝鮮のハンコが押してあったら、もう二度と韓国には入れませんからね。シールは出る時にはがしてもらえるから、ぼくが何十回も北朝鮮に行ってること、韓国の入国審査官には分からないんです」
たしかに韓国に行けなくなってしまったら、いろいろ不便そうだ。シールで良かった。
入国審査場を出たところで、白人の女性が大きな荷物を引っ張ってこちらに歩いてくるのに出くわした。
朝鮮の感想を聞きたいと思って話しかけてみる。NGOの職員の人らしく、きびきびと答えてくれる。
「北朝鮮、どんな感じですか」
「まだ福祉は遅れているわね」
NGO職員はそういう目で北朝鮮を見るようである。体制についてどう思うかといった意見は聞かせてもらえなかった。
もうひとり、空港内で話をした。五十代くらいの東洋人男性。むこうから近づいてきて、日本語で話しかけられた。
「私、ここで商売しているんです」
日本と朝鮮の間を行き来して商売をしているらしい。政府間で国交が無くても、案外簡単に行き来したり、経済活動できるものなのだなと感心する。
空港の玄関に車が迎えにきてくれていた。八人乗りのバンである。
同乗したのは、今回の旅行のガイドを勤めてくださるL氏とK氏。そして運転手氏。
L氏は四十代といったところだが、K氏はまだ若く、二十代後半くらいか。ふたりはほぼ完璧な日本語を話す。名刺をもらった。彼らが所属している団体、朝鮮國際旅行社という名称が旧字体で書かれている。
運転手氏は頑固そうな五十代くらいのおじさんだった。
空港は静かな木立に囲まれていた。
肌寒い冷気の中、バンはゆっくりと木々の間を走り始めた。
L氏が今日の予定を説明してくれる。
「まず、学生少年宮殿にご案内します。それから万景台公園に行きましょう」
学生少年宮殿というのは、小学生や中学生が授業が終わったあとに課外活動を行うための施設らしい。すなわち、平壌市のすべての小学校が共同で利用する、クラブ活動のための建物である。学校から移動する時間を別にすれば、これは結構合理的かも知れない。母集団が大きければ、同好の士も数多く集まる。
金日成が「子供こそ我が国の王である」と言ったとかで、宮殿という名前がついているのだという。
車は平壌への道を疾走した。道幅は広く、舗装はしっかりしている。
外国からの客を迎える道なわけだから、ものすごく力を入れて作っているのだろう。かなりの速度を出しているようだが、車体が揺れることはない。
左右には畑が広がっている。冬なので何を作付けしているのかは分からないが、とにかく農業地帯のようである。
時折沿道に現れるマンションは異様に立派だった。
しかも、結構住みやすそうである。大通りに面していて、ベランダ付きだ。しかも、うしろには地平線の彼方まで畑が広がっている。
これが共産圏なのだ。そう考えると、実に感慨深かった。
あるマンションの五階の部屋のベランダに自転車が置かれているのが見えてしまった。普段から置いておくには結構不便な場所のように思える。
ぼくはL氏に訊ねた。
「この国でも窃盗はあるのですか」
「いや、ほとんどありませんよ」
L氏は眉ひとつ動かさずに答えた。
車は平原の中を疾走した。
結局、空港から平壌市内まで移動する間、一台の車ともすれ違わなかった。
地元民らしき人が自転車をこいでいるのは見かけたりした。

自転車に乗っていた人民氏
遠くにソウルの南山タワーを意識したような塔が見える。いや、どちらが意識したのかは分からない。こちらの方が先に作られたのかも知れない。
金日成を奉る巨大な廟の前などを通り過ぎ、平壌市の中心部に入った。
予想していたより静かな街である。お隣の韓国の首都ソウルに比べると、比べものにならないくらい静か。
車の数が少ないのはあいかわらずだが、市内は歩いている人が多い。皆、寒そうに外套の襟を立てながらとぼとぼと歩いている。歩道は広々としていて、通行量と比較して広すぎるくらいだ。
道路の真ん中には路面電車が走っている。というより、ぼくらの車と路面電車しか走っていない。
おそらく今、都心を走っているのだろうが、住居かオフィスと思われる建物がたくさん並んでいるばかりで、商業施設が全然見当たらない。飲食店もなければコンビニも無い。
北京のにぎやかな街並みと比べると、かなり物寂しい。
寂しさを感じさせる理由は商業施設の乏しさだけではない。広告や看板といったものもほとんど無いのだ。たまに見かけても、文字だけだったり、炭鉱夫がショベル持って立ち上がっている図案だったりする。
社会主義下の配給制では広告なんて必要ないのかも知れない。広告がなくなるだけで街の印象がこれほど変わってしまうとは、驚くばかりだった。
たまに、ビルの上に労働党の赤い旗が誇らしげに掲げられている。赤い旗の中央に重ね合わされた槌と鎌と筆。北朝鮮社会を支える三つの柱である労働者・農民・インテリゲンチャをあしらった図案らしい。
ロシアのソビエトは労兵農の合同会議だったが、兵をインテリに置き換えてしまうところ、武より文を尊ぶ朝鮮の伝統に倣っているようで興味深い。

労働党の旗。
市内を走っていると、遠くにぽつんと巨大な角錐状の建物が見えてきた。てっぺんは鋭角であり、ピラミッドというより近未来風だ。
L氏が説明してくれる。
「あれは今度、新しく建てられる柳京ホテルです。面白い形をしているでしょう?」
このホテル、朝鮮の外でも有名のようで、建築学を専攻している韓国人の友人に聞いたらその存在を知っていた。柳京というのは、平壌の別称らしい。
やがて坂道の向こうに大きな学校のような建物が見えてきた。宮殿というにはちょっとビルっぽすぎる建物。申し訳程度に屋上や門に装飾が施されている。

学生少年宮殿。子供たちが部活するための宮殿。
車を降りて、ぼくらは宮殿の中に入った。宮殿のように作られているのは外見だけで、内部は完全に学校の構造をしている。
部屋ごとに異なる部活動が行われていて、ぼくらはそれをひとつずつ見ていく。
綺麗な演奏を聞かせてくれたのはアコーディオン部だ。生徒全員がアコーディオンを演奏する。
太極拳部では見事に息の揃った動きを見せてくれた。囲碁部では皆、黙々と対局していた。子供たちが皆、顕微鏡を覗き込んでいる教室もあった。
「全部やらせですよ」サコは冷ややかな口調で言うのだが、ぼくはそうとも言い切れないのではと思った。やらせであるにしても、それなりの練習が必要なのではないか。それに、たとえやらせだとしても、子供たちとしては結構楽しいんじゃないだろうか。
各教室の壁には金日成・正日父子の肖像画が飾られている。小さな額縁にはめこまれ、なんだが東方教会のイコンを思わせる。

どの教室にも貼られている金日成・正日父子の写真
廊下に貼られていた地図には朝鮮半島全体が描かれ、韓国との間に国境線は描かれていない。北朝鮮の解釈では、半島南部は米軍を中心とする勢力に一時的に占領された状態になっている。すなわち、北朝鮮の領土は半島全体なのだ。
壁にはもうひとつ、自然に関する説明の絵が掲げられていた。その中に鉄道が描かれているのだが、その車体がどう考えても新幹線にしか見えない。いったいこの国の人々はどういう気持ちで日本の技術を見ているのか、気になるところではある。

あ、新幹線だ。
子供たちに名残惜しまれつつ、ぼくらは学生少年宮殿をあとにした。

レディたちに囲まれ嬉しげなぼく
大通りを走っていると、たまに屋台を見かける。小さなテントの下におじさんやおばさんが立っているのだが、何を売っているのかはよく見えない。L氏に聞くと、野菜や雑貨などを売っているという。
屋台で買い物してみたいとお願いしてみたが、ダメと言われる。屋台で買い物すらできないとは、なんとも不自由なパックツアーだ。
町の中心部で車を降りて、散歩させてもらう。このあたりには屋台がない。
平壌の街並みはとても清潔で、秩序立った美しさがある。冬に訪れたせいかも知れないが、モノトーンの街並みが灰色の空と調和して、美しい。独特の物寂しい景観は広告や看板に埋もれた日本の都会を見なれた目にはとても新鮮だった。社会主義の美学とでも言えるような、凛とした趣きがあった。
夕方、万寿台公園という場所に到着。
平壌市を見下ろす高台にあって、広場の中央に金日成の像が立っている。
片手をあげて、演説でもしているようなポーズ。
ここにはかなりの数の市民が集まっていた。平壌の住民なのか、それとも地方から観光で出てきた人々だろうか。
リーマン氏は階段の中ほどに立って、金日成像と同じポーズととって記念撮影を始めた。途端に階段の下の方にいたL氏とK氏がすごい勢いで飛んできて、リーマン氏の金日成ポーズをやめさせた。
そういうのは、不敬に当たるらしい。

金日成像と一緒に
万寿台公園を出る頃、日が暮れた。
ぼくらを乗せたバンは薄暮に包まれた市街を走る。
豪華な内装のレストランで夕食。
食事中、同行者の和尚氏が自分の現在の身分について語り始めた。
「住職を息子に譲りましてね。その時の条件が、毎年私たちを海外旅行に行かせることだったんですわ。それでこうして家内とあちこちまわっているわけですな」
夫人は穏やかにうなずく。夫婦ふたりで仲良く世界漫遊とは、まったくうらやましいご身分である。
テーブルの上にたくさん並べられた銀皿にはキムチやナムルが少しずつ取り分けられている、韓国料理店でよく見かけるスタイルだ。
L氏とK氏が訊いてきた。
「どうですか」
「いやぁ、おいしいですね」
和尚がにこにこして答える。
ぼくも腹が減っていたせいか、なかなかいけるじゃないかと思っていbた。
やがてL氏とK氏は打ち合わせがあるのか、別室に行ってしまった。
途端に和尚はスプーンを置いて、ぼそりとつぶやいた。
「まったくまずいな、ここのめし」
その堂々とした言い方に、ぼくの目は点になってしまった。
ガイド氏たちががいなくなったため、言いたい放題の会話が始まった。金正日が聞いたらショックを受けるような会話だ。
特に和尚氏の毒舌は強烈だった。
ぼくは結構平壌の街を気に入りかけていたので、横から口を挟んだ。
「でも、平壌市民は結構いい生活をしているみたいですね。マンションはあり余っているみたいだし、街は清潔だし……」
「平壌に暮らせるのはエリートだけですよ。役人とかスポーツ選手とかね」
「北朝鮮の中でも格差があるということですか」
「そりゃ、ありますよ」
「農村は貧しいんでしょうか」
「木の根食ってます」
まるで見てきたかのように言う。
夕食後、おみやげを買うために近所の大きなホテルに出かけた。高麗ホテルといって、平壌市内で一番立派なホテルのひとつ。
周囲のビルと比較して、飛びぬけて高い。外壁はえんじ色で綺麗である。建物の内部も立派だった。一階の吹き抜けが非常に高く、開放感がある。
それにしてもこの国、どうしてこんなにホテルばかり立派なのだろう。平壌で立派な建物といえば、モニュメントとホテルばかりだ。
ロビーで高校生くらいの女の子たちの集団が騒いでいた。そのひとりが突然、エスカレータの中ほどから日本語で声をかけてきた。
「日本人ですか」
「ええ、そうですけど」ぼくは戸惑いながら答えた。
「私も日本から来たんですよ」
「え」
「私、京都の朝鮮学校の生徒なんです。修学旅行でこっちに来ていて」
修学旅行で平壌! これはうらやましい。東京なんかに行くより、ずっといい。
そのかわいい彼女、そのままエスカレータで上がっていってしまったので、それ以上話をすることはできなかった。
それにしても平壌との関わり方には様々な形があるものだ。
ぼくらは単なる好奇心でやってきた。
朝鮮学校の生徒は修学旅行でやってくる。
そして同じ平壌のどこかに、日本から拉致された人々が悲しみにくれながら暮らしているわけだ。
なんとも奇妙な都市の多重性だった。
その後、ホテルの売店にておみやげ用に銀製品などを買った。
団長は大量の北朝鮮グッズを買い込んでいる。R通商の事務所ではパックツアーの手配をする他、マニア向けに北朝鮮グッズの販売なども行なっていて、こちらの収入も大きいらしい。つまりこの旅行は団長にとっては最新の北朝鮮グッズを手に入れるための仕入れ旅行でもあるわけだ。
おみやげを買い終えたぼくはひとりホテルの外に出てみた。
夜、平壌の街は暗く静まりかえっている。
高層マンションの明かりは消えて、あたりは真っ暗だ。本当に人が住んでいるのか疑いたくなるような暗さだった。
街灯の消えた街並みの上には星空が広がり、街路樹が沈黙している。
遠くのビルから洩れる光は夜空と溶け合っていた。
傍らを走る路面電車の電線が時々、緑色の火花を散らす。幻想的な光景である。宮沢賢治の小説の世界みたいだと思った。イーハトーブだ。暖かい闇が広がっている。
道路の真ん中に寝転がってみた。
星空はとても綺麗だった。
高麗ホテルをあとにしたぼくらは、今夜の宿に向かう。高麗ホテルより一ランクくらい低い、川沿いに建っている普通江ホテルだ。普通江と書いて、ポトンガンと読む。
ロビーは閑散としていて、変色した絨毯が物寂しい。なんとなく地方の温泉ホテルを連想させる。
部屋は小綺麗に整頓されていた。
テレビをつける。管楽器のバンドが演奏している。六十年代の日本のようなメロディだ。映像は単調で物足りない。
テレビはすべて国営なのかも知れなかったが、CMを確認する前に寝てしまった。
翌朝、ふたたび、ガイド氏同行で散歩する。
朝の街。歩道を歩くたくさんの人々。みんな、どんなところで働いているのだろう。ついていきたい欲求にかられるが、パックツアーなのでそういうわけにもいかない。
L氏とK氏に促されて、ぼくらは地下鉄に乗った。
エスカレータで地下まで降りる。とてつもなく深い。韓国の地下鉄は北朝鮮からの攻撃に備えて深く作ってあるというが、北朝鮮でも同じことを考えたのだろう。
ようやく駅のホームに辿り着くと、豪華な内装に圧倒された。側面をおおう壁画。装飾された柱。天井からぶら下がるシャンデリア。

この豪華さ! 鉄道ファンにはたまりませんね。
こんな風に飾りつけられると、地下鉄が高級な乗り物に思えてくるから不思議である。日本の地下鉄でも是非真似してもらいたいものだ。
地下鉄で向かう先は平壌で一番有名な冷麺の店、玉流館。
平壌は冷麺が名産らしく、その中で一番有名な店が玉流館である。
後日、韓国の友人に玉流館で冷麺を食ったという話をしたところ、すごくうらやましがられた。ソウル市内でも「私は玉流館で修行した」と主張する料理人の店があって、結構繁盛しているらしい。
平壌はどこに行っても人が少ないように思えたが、ここ玉流館の前だけは混雑していた。みんな冷麺が好きなのだろう。
玄関前で写真を撮ろうとすると、突然、若いお兄さんが何か怒鳴りながら近づいてきた。何と言っているのか分からないので、ガイドのL氏に間に入ってもらった。
あとになってL氏に文句の内容を訊いてみたのだが、教えてくれなかった。「勝手に写真を取るんじゃねぇ」と言っていたのか、それとも「割り込むんじゃねぇ」と言っていたのか、それとも単なる人違いだったのか、結局分からずじまいだった。
我々パックツアーの一行は一般客の間をすりぬけて、二階席に通された。
冷麺はびっくりするほどうまいというわけではなかったが、シンプルでなかなかいける味だった。盛岡名物の冷麺とどちらがうまいのか、是非比べてみたい。

うまい冷麺ならココ。
食後、本屋に行ってみたいと希望すると、意外にも予定に組み込んでもらえた。
街角に立つ小さな書店。品揃えはそれほど多くないが、そもそもこの国にどれほどの出版物があるのか分からない。
外国人旅行客の訪問を想定している店のようで、英語や日本語の本が充実していた。
おみやげのつもりで何冊も購入した。特に、「金正日指導哲学」「偉大な人間・金正日」という日本語で書かれた本があったので、これは大量に買った。金正日がいかに人民のために日々奮闘しているかが書かれている。
子供向けの絵本も最高だった。絵なのでだいたい何が言いたいのか分かる。祖国を守るために戦おう!という、まるで戦争中の日本の絵本みたいだった。日本の爺さんたちに見せたら、結構共感されるのではないか。
カレンダーも置いてあったが、こちらは映画の名シーンを並べたもの。いずれも朝鮮映画である。海外の映画とかは入ってこないのではないだろうか。
店内を見回せば、L氏とK氏は店員と何か交渉している。
この頃になると、ぼくもだいぶ平壌の雰囲気に慣れてしまっていて、少し冒険できそうな気分だった。
そこで、すきを見計らって本屋を飛び出し、道路の反対側に位置している雑貨店のような店に飛び込んだ。
こちらは本屋と違って、地元民らしきおじさんおばさんがたくさん集まっている。
お菓子から電化製品まで、品揃えは充実している。扇風機まで売っていた。
こんな寒い冬の日に扇風機を買う人もいないだろうが、備えあれば憂いなしといったところか。
ぼくは札束を出して、菓子を買おうとした。かなりのお菓子好きであるぼくとしては、平壌市民が普段どんなお菓子を食っているのか、非常に興味があったのである。
だが、店員は首を横に振って、札束を受け取ってくれない。
隣にいた中年男性の客が早口の朝鮮語で何か言ってきたか、もちろん何を言っているのか分からない。他の客たちも困ったような顔でぼくを見ている。
あまり長居しすぎると問題になるかも知れないと思ったので、結局何も買えないまま雑貨屋を出て、本屋に戻った。
L氏とK氏は気づいていたのか気づいていなかったのか、何も言わなかった。
午後には映画撮影所を訪ねた。北朝鮮が誇る国立の撮影所である。
金正日はすごい映画好きらしく、この施設には足繁く通っているという。だが、単なる趣味というだけではなさそうだ。映画はプロパガンダの道具でもある。
広い敷地はいくつかのゾーンに分けられていて、それぞれ撮影用の恒久的な屋外セットが組まれている。
「これが日本占領下の平壌の街です」
日本語で書かれた看板。バー。商店。
わざわざセットが作られているということは、それだけ日本占領下を描いた映画が多いということだろう。
警察署の建物が大きくそびえていた。たぶん、これが出てくるシーンも多いのだろう。
少し離れた場所には農村風のセットが組まれていて、朝鮮の立派な伝統家屋が並んでいる。
「これは朝鮮北部の農村です」
その隣に、貧相なかやぶき屋根のセットが並べられている。
「こちらが南朝鮮の農村です」
北と南で別々のセットを作っているところ、なんだか戦略的なものを感じてしまうが、実際、日本統治下では北部の方が豊かだったようだ。穀倉地帯だった南部には農業、石炭資源が豊富だった北部には重工業を重点的に発展させたらしい。おかげで分断後、韓国側は重工業の地盤が無いため苦労したのだそうだ。
敷地をぐるりと一周したあとで、映画の上映会を行う建物に案内された。この撮影所で作られた映画を見させてもらう。
都市から来たヒロインが地元の青年達の協力を得て農村を立て直す、きわめて前向きな物語だ。
都市なんて行っても仕方ないわ、私はこの村が好きだよ! というようなメッセージが全体に満ちあふれていた。
ということはつまり、北朝鮮の農村の人たちの多くは平壌にあこがれているということだろう。
ヒロインはなかなかの美人だった。上映終了後、別室に案内され、L氏が嬉しそうに言う。
「では、これから女優さんたちとお話をしましょう」
さっきまで映画に出ていた美人女優が突然現れたので、驚いた。
通訳を通して雑談させてもらった。
目をきらきら輝かせながら大女優は言った。
「将軍様のおかげで私たち、毎週木曜日に外国の映画が見れるんです」
「はぁ、なるほど」
「とても感謝しています」
ぼくは訊ねた。
「どんな映画が好きですか?」
にこにこ笑いながら女優氏は答えた。
「タイタニック」
冗談とかではなく、本気でそう思っているっぽかった。
そんなに率直にアメリカ映画を褒めてしまって、いいんだろうか。
結構美人だし、かなりの役者でもあるのだろう。彼女がいつかハリウッドで活躍する日が来ることを祈る。
撮影所を出たあと、実際の農村を見に行きたいとL氏にお願いしたら、
「それはできません」と、あっさりと断られてしまった。
宇宙から撮影した夜の地球の写真を見たことがあるが、その中で北朝鮮は平壌だけが明るく、あとは真っ暗だった。
いったい、北朝鮮の農村はどうなっているのだろう。映画の中の村ではなく、実際の農村を見てみたい。
平壌市内に戻って、昨夜と同じようなレストランで豪華な夕食を済ませ、ホテルに戻ってしばしくつろいでいると、「散歩に出かけましょうよ」とサコに誘われた。
「大丈夫なの」
「分かりません。止められたらあきらめましょう」
リーマン氏にも声をかけて、三人でホテルを抜け出した。ロビーには誰もいなかった。和尚夫婦はもう寝ていそうだったので、誘わなかった。
ホテルは川沿いに立っているため、周囲は静かだ。いや、たとえ都心の真ん中だったとしても、この時間なら静かだったことだろう。
細い用水路沿いを歩く。照明はほとんどなく、星明かりだけが頼りだ。
道に沿って柳が植えられている。途中、巨大な鉄パイプが目の前に現れ、行く手を塞いでいた。ガス管か何かだろうか。川沿いを散策する人の便宜はあまり考えていない様子。
さらに進むと、ぼろぼろになった橋があって、渡ったら崩れ落ちそうな状態だった。
川沿いに小屋があり、中で何か議論しているのが聞こえた。まさか体制を批判しているのではないかと思って聞き耳を立ててみたが、いくら耳をそばだてたところで朝鮮語が分かるようになるはずもなかった。
どこまで歩いても同じような静かな夜の街が続いているだけなので、引き返すことにした。
迷子になるのが一番まずい。
平壌の地図を見ても、有名なホテルやモニュメントの場所が記されているだけで、どこが繁華街かといった情報がまったく載っていない。そもそも繁華街というものがあるかどうかも分からない。次回徘徊する時は、しっかり目的地を定めておこう。
同じ川沿いの道を辿って、ホテルまで戻った。
ロビーに入って、ぎょっとさせられた。
微笑みながら、L氏とK氏が待ちかまえていたのだ。
「夜の散歩はいかがでしたか」
穏やかな口調で言うので、逆に怖かった。
ぼくらの行動はしっかり監視されていたようである。お釈迦様の手の上で走り回っているだけだったのだ。
にこやかに笑うL氏とK氏に付き添われたまま、部屋に戻った。結局、彼らに注意されるということもはなかった。叱ったところでどうなるものでもないから、無駄に怒ったりしないのだろう。
それにしても彼ら、どこまでぼくらの動きを監視しているのだろう。夜は眠るのだろうか。旅行会社で働く前は、スパイだったりするのだろうか。
翌日。韓国との国境線上に位置する板門店まで遠出した。平壌からは南東に百七十キロくらいの距離である。
実は、板門店まではソウルから行く方がずっと近い。仁川空港から車で二時間ほどの距離である。一方、平壌からは車で四時間近くかかる。つまり板門店の南半分には日本から最短三時間で行けるのだが、北半分に行くには北京での一泊も含めて、最低二日かかるわけだ。
移動時間は長かった。
車窓からの風景をぼんやりと眺める。
農業地帯である。山が近づいたり遠のいたり。
沿道で子供たちが牛にまたがって遊んでいるのが見えた。柴の束を背中に背負って山を降りてくる子供もいた。澄んだ小川が畑の間を流れている。
「まるで漢詩の世界だなぁ」とサコが言った。
ぼくも同感であった。ひとむかし前の日本の田舎はこんな感じだったのだろうか。
その鄙びた風景の中を、どこまでも一直線に道路が走っている様は壮観であった。一度だけ休憩所があったが、それ以外、何もない道。
やがて国境の手前のゲートに到着し、車を降りる。道路脇に建物があり、そこに連れて行かれる。
国境警備の兵士が敬礼し、模型を見せながら板門店に関するレクチャーをしてくれる。
いかにして北朝鮮が米国を中心とする国連軍と闘い抜いたか。そういった歴史的な話も説明される。もちろん、朝鮮戦争はアメリカから仕掛けられたことになっている。
レクチャー後、国境警備隊のバンに乗り換える。
まずは、現在の国境線から少し離れた場所、かつて朝鮮戦争の停戦協定が調印された建物を訪れる。現在、この場所は完全に北朝鮮領内に属している。
テーブルの上に立てられているのは北朝鮮の旗と、国連の旗。まさにこの国が世界を相手に戦ったことを示している。
以上の準備を経てようやく板門店の敷地内に入った。
三百メートルほどの間隔を挟んでにらみあう両国の建物。南北の交渉期間中、それぞれの代表団が利用する建物である。
北朝鮮側の石造の建物はいかめしく、重々しい。一方、韓国側は鉄とガラスのファサードを持ち、しなやかで現代的だ。
両国の建物の間に六つ、青と白のプレハブが並んでいる。各プレハブは北朝鮮と韓国の国境線の上に置かれている。プレハブ内だけが、双方の代表が入れる領域なのである。
国境線を示す線がプレハブの間に惹かれている。
もしぼくがこの線を踏み越えたら、北朝鮮の兵士はぼくを撃っていいことになっていると、L氏が冗談めかして忠告してくれた。
亡命は許されないのである。
実は昔、冷戦真っ盛りの頃、あるロシア人が西側に亡命したくて、あろうことかここ板門店にて命がけのダッシュを試みたらしい。亡命を阻止しようとする北側と応戦する南側の間で激しい撃ち合いになり、兵士が何人か死んだ。そしてそのロシア人は無事に亡命できたという。
そんなわけで、みだりに国境線を踏み越えてはならないことになっている。

見えない壁があります。
数人ずつの兵士が警備についているのだが、兵士の態度が結構違う。北側の兵士は直立不動の姿勢。眉毛すら動かさない。一方、南側の兵士はまるで不良少年たちのようにだらしなく、ぶらぶら歩き回っている。

姿勢のいい北側(こっち側)の兵士たち。
プレハブのひとつに入らせてもらった。
観光客が北側から入る時、南側へのドアは固く閉じられている。逆に、南側から来た観光客が入る時は、北側のドアがきつく閉じられている。こうやって、双方の兵士や観光客が鉢合わせすることが無いようにしている。
部外者から見るとなんだか滑稽に思えてしまうが、やってる本人たちはおおいに真剣である。
「南北朝鮮の代表はこの部屋でだけ話し合うことができるのです」
L氏がまじめに説明している時、窓の外に人影が映った。
見れば、韓国側の兵士が窓に顔をぐいっと近づけて、室内を覗き込んでいるのだ。

覗き込む南側の兵士。
何なんだ、この緊張感の無さは。
その好奇心旺盛な兵士氏はしばらく室内を見回していたが、やがて興味を無くしたのか窓から顔を離し、ふらりと自分の持ち場に帰っていった。
後日、ぼくは韓国側からも板門店を訪れてみたのだが、その時はさすがに南側の兵士も直立不動の姿勢をとっていた。
プレハブ見学後、待合所に戻った。そしてお待ちかね、「兵隊さんとおしゃべり」の時間だ。
さきほど板門店に関するレクチャーをしてくれた兵隊さんがぼくらの質問に答えてくれる。
ぼくは訊いてみた。
「アメリカの文化にあこがれたりしませんか」
「いえ。私は朝鮮の文化を愛していますから」
その言い方は非常にかっこ良かった。
かたやタイタニックを褒める大女優がいる。かたやアメリカ文化を頭ごなしに拒絶する一兵士がいる。当然のことながら、北朝鮮の人々の感覚というのは一枚岩ではない。
板門店ゾーンを出て、国境沿いの別の場所にある展望台に移動する。
非武装中立地帯の幅は四キロ。起伏の大きな丘陵地帯である。国境線は二キロ咲きにあるはずだが、もちろん線など引いてあるわけではない。
備え付けの双眼鏡で韓国側を見させてもらったが、こちらと同じような森が広がっているだけだった。
展望台の横に巨大なスピーカが設置され、韓国側に向けて、大音量で放送が流されている。北朝鮮がいかにすばらしい国であるかを放送し、亡命を促しているのだそうだ。
同じことを韓国側でも行なっているらしい。こちらはいかに韓国がすばらしいかを力説しているそうだ。
さらに、宣伝村というものが作られている。国境沿いに村を作り、お互い、自分たちがいかに豊かな生活をしているかを誇示しているのだそうだ。
そこは訪問させてもらえなかった。韓国側の資料によれば、北朝鮮の宣伝村はまったくの無人とのことである。
帰りに開城に立ち寄った。紀元十世紀に朝鮮半島を統一した高麗王朝の都が置かれた歴史的な街である。三十八度線より少しだけ南に位置するため、第二次世界大戦直後は韓国側に属していた。その後、朝鮮戦争によって国境線が南へ北へ往復し、最終的に開城は北が所有するところとなった。板門店からは十キロも離れていない場所に位置している。
平壌をさらに小さくしたような街である。ビルの高さが若干低い。商業施設や広告に乏しいのは平壌と同様だ。
歴史都市を保存するという意味では、北朝鮮側に属して良かったのかも知れない。もし韓国側に属していたら、ソウルの中心から七十キロも離れていないわけだから、今頃開発の波に洗われていたかも知れない。
市内を歩く。
交差点の真ん中では婦警さんが交通整理をしていた。だが、ぼくらが見ている間、一台の車も通らなかった。

交差点の中央に立つ交通整理の人に注目。
昼食に参鶏湯を食べた。鶏肉を朝鮮人参などと煮込んだ滋養強壮料理である。朝鮮人参は韓国よりも北朝鮮の方が栽培に適しているらしい。韓国では国境線ぎりぎりのところで栽培しているのが見受けられる。つまり、ここから十キロほどの場所である。 丘の上の公園に立って街を見下ろすと、古い瓦づくりの屋根が並んでいる。戦争によって国境線が三度上を横切ったというのに、これだけ古い家並みが残っているというのは驚くばかりだ。
歴史公園のようなところを訪ねた。高麗王朝の施設があったところらしい。
入り口で絵を描いている画家がいた。おみやげに良いと思ったので、彼が描いた絵を買った。たぶん観光客目当ての商売だが、細かいところで金を落とさせようとするところ、共産圏にしてはだいぶ商売熱心のように思える。
歴史博物館は高麗国に関する展示がくわしい。韓国と朝鮮が統一された暁には、国名を高麗にしようと金日成は言っていたそうだ。
単なる一傍観者に過ぎないが、将来、いったいどんな形でこの二つの国が統一されるのか、気になるところではある。知り合いの韓国の大学教授は、このままだと北朝鮮は中国に吸収されてしまうのではないかと言っていた。中国東北部にかなりの数の朝鮮系中国人が暮らしていることを考えれば、あながちありえない話でもない。

開城の街並み。瓦葺きの建物が多い。
歴史公園をぶらぶらしているうちに、日が西に傾いた。バンに乗り込み、ふたたび長い道を平壌まで戻る。
夕暮れの平原の寂寞とした風景の中を走る。市内に着いた時、家に帰ってきたような気分になって、ほっとしてしまう。
そして今回の旅の最後の訪問地であるサーカス劇場に到着する。
「ここのサーカスはすばらしいんです」
L氏が絶賛する。
サーカス専用の劇場である。常設でサーカス専用というのは、日本ではあまり無いかも知れない。中は混雑していた。舞台を囲む円形の客席はほぼ満席状態だ。とても人気があるようである。
ショーが始まった。見事な技だ。しなやかな身体が跳んだりはねたり、宙を舞ったり。あまり日本でサーカスを見ていないからかも知れないが、こんなことまでできるのかと驚かされる。人間の限界に挑んでいるのがよく分かる内容だった。
サーカス団員たちの服装はきらびやかだったが、観客の服装はとても地味である。皆、申し合わせたように茶色やカーキ色のジャケットを着て、物静かに座っている。
馬鹿騒ぎしている若者なんてひとりもいない。
そのあまりの静けさに、なんだかせつない気分になってしまう。ここでもやはり、イーハトーブでサーカスを見ているような気分だった。
途中、コントのような劇があった。兵士の服装を着た男たちが三人、舞台の上で掛け合いを始めると、会場は笑いに包まれた。
この国ではいったいどんなジョークが受けるのだろう。非常に興味のあるところだったが、言葉が分からないので理解できなかった。

北朝鮮のコメディ。
終演後、L氏がにこにこしながらやってきて、夕食の内容を教えてくれる。
「今夜は犬を食いに行きましょう」
平壌市内の川沿いの道を走り、小綺麗な食堂に連れて行かれる。
メインディッシュが犬肉を煮込んだ鍋だった。韓国ではソウルオリンピックの時に公の場から姿を消した犬料理。北朝鮮ではまだまだ普通に食べられているようだ。
小さな肉片が入っていたが、特別な味がするというわけではなかった。
その夜、ホテルに戻ってからは、外出はしなかった。翌朝は早い。何かトラブルに巻き込まれて拘束されたら、本当に帰れなくなってしまう。
翌日の早朝、空港に向かう。北京への飛行機は一日一便しかないため、出発時間は限定されている。
朝もやの中、飛行機は寂しげにぼくらを待っていた。

朝もやに包まれた平壌空港。
出国審査は一瞬で済んだ。外国人の客はぼくらしかいないから、並ぶこともない。
帰りの機内はそれほど混雑していなかった。それでも、金日成バッジをつけた皆さんがたくさん乗っていた。
数時間で北京に着いた。
ここまで戻ってくると、もう日本に帰ってきたような気分だった。
広告に満ちあふれた社会。情報があふれているがゆえに、安心できる街。
国際線の乗り継ぎを歩いている時、団長が財布から見慣れない紙幣を取り出し、これ、見ましたかと訊いてくる。
「朝鮮の紙幣ですよ」
ぼくらが使っていたのとは全然違う大きさと配色だった。
「朝鮮は二重通貨制なんです。国民が使っている紙幣と観光客が使う紙幣では、お札も違うし交換レートも全然違うんです」
北朝鮮のウォンに対する実際の為替レートは恐ろしく低いため、庶民が買い物する価格でぼくらが買い物したら、わずかな金で大量の商品を買えてしまい、観光によって外貨を獲得するという目的を達成できない。
そこで、観光客には特別のレートで外貨と交換される専用の紙幣が渡される。同じウォンの額が書かれていても、現地通貨とはまったく異なる価値を持つ。
「ひょっとして在日の人が北朝鮮に行った時も、外人向けの金しか使えないんですか」
「ええ。商売している人でなければ」
朝鮮国籍を持ちながら、外国人扱いなのはなんだかかわいそうだ。立派なホテルに泊まれるけど、いつまでも外国人なのである。
「現地通貨を手に入れる方法もあります。羅津や新義州などの自由貿易特区では、外国人も現地通貨を使うことができるんです」
それだからこそ自由貿易特区である。言い換えると、これらの地区では外国人はかなりリッチに買い物できるということだ。だが、外国製品もあふれているだろうから、物価もそれなりに高いのかも知れない。おそらく一番お得なのは、最初に自由貿易特区を訪れて現地通貨を大量に仕入れておき、ふたたび平壌を訪ねることだ。こうしておけば、ぼくも雑貨店で菓子や扇風機を買うことができたのである。
ちなみにこのような二重通貨制は中国も最近まで導入していたようで、それほど珍しい制度ではないらしい。だが、それに最後まで気づかなかったというのはなかなか新鮮な体験であった。
北朝鮮旅行者はリピータが多いというが、分かる気もする。三泊四日では見尽くせないほど、奥の深い国であった。
℃ Taro Tezuka (2005.3.29)
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