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2009年08月28日

不老不死ツアー

人類の長い間の夢であった不老不死。

その実現に向けて研究を進めている研究者が和歌山県田辺市にいる。

夏場は関西圏からの海水浴客で賑わう白浜のビーチから北に目をやれば、細く伸びた半島の付け根に薄青色の大きな建物がある。それが京都大学フィールド科学教育研究センターの瀬戸臨海実験所だ。

ここで日夜実験に取り組む久保田信准教授は直径1cmに満たない小型のクラゲである「ベニクラゲ」の世界的権威である。

その「ベニクラゲ」に不老不死の秘密、若返りの秘法が隠されているというのだ。

今回、NPO法人KGCによって運営される研究者インタビュー動画データベース「Researcher Zukan」の取材チームは夏休み特別ツアー企画として、久保田先生の訪問とインタビュー収録を行った。

Researcher Zukanを取りまとめている可知くんの呼びかけに応じ、関西各地、さらには東京からもスタッフが加わり、多彩な顔ぶれの参加者が集まった。

瀬戸臨海実験所では海洋性の無脊椎動物の研究が盛んに行われている。クラゲを専門に扱われる久保田先生の他、珊瑚や貝、甲殻類など、様々な専門家が集まっている。

小さな半島を横断する形の敷地を持ち、両側が海だ。北は岩場、南は砂浜であり、生息している海洋生物は多岐に渡る。

8月の下旬、海からの風が心地よい午後、取材班が実験所を訪れると、久保田先生が穏和な笑顔で迎えてくれた。

「まずは水族館を見られますか」とインタビューもそこそこに、敷地内でひときわ大きな建物に案内された。

これは併設の水族館であり、一般にも公開されている。入館料500円を払えば自由に見学することができ、大学が運営する公開の水族館としては数少ないものの一つらしい。

「ここにいる魚はすべて近くの海で取れたものばかりです。お金が無いんで他から取り寄せられないんでね。でもその方が意味があると思います」と久保田先生。

こんな奇妙な生き物たちが目の前の海の中を泳いでいたと考えると、奇妙な興奮感を覚える。

バックヤードまで見せてもらった。普段は見られない水族館の裏側である。

「採光に工夫していてね。天窓を開けて、この鏡で光を反射させて。水槽が特に明るいのも特徴です」

展示用水槽に入りきらない生き物は別室で飼育している。

「一週間出張していたんで、餌をやれなくてね」

そう言ってカワハギの「モンちゃん」に餌をあげられる久保田先生。

「そんなに長い間餌をやらなくても大丈夫なんですか?」

「魚は案外長い間空腹に耐えられるんです」

水槽から飛び出さんばかりに跳ね回る姿は一見、久保田先生になついているようにも見える。愛情が通い合っているようにさえ思えた。

今はクラゲを専門に研究されているが、基本的に海洋生物すべてが好きなのだろう。

水族館を出て、敷地内に点在する施設をいくつか見せていただいた。宿泊施設や実験棟、海洋関係の団体の事務所など。

建物の間の細い道は草に覆われている。緑の勢いが強い。夏だ。

実験所の応接室に移り、いよいよベニクラゲに関する説明を受ける。参加者はクラゲに関しては素人なので、基礎からレクチャーである。

我々がクラゲと呼んでいるものはある生物の一生における一段階の形態である。蝉に成虫と幼虫があり、幼虫の期間の方が圧倒的に長いように、クラゲになる前の段階のポリプというものがあり、こちらの期間の方が実は長い。

しかし蝉の成虫と幼虫はどちらも「昆虫っぽい」形をしているのと比べ、クラゲとポリプはまったく違った形をしている。ポリプはクラゲのように海中を動き回ることはなく、地面に根を広げ、花のような触手が並び、植物を思わせるような形態をしている。

そして個体の一生はポリプ→クラゲという一方向である。

雄のクラゲが持つ精子と雌のクラゲが持つ卵子の受精によってプラヌラと呼ばれる幼生が生まれ、それが海底に付着して新しいポリプになる。そのポリプからクラゲが分離し、波間を漂うことになる。

「ポリプ→クラゲ」という流れの不可逆性はクラゲ研究者の間では常識であった。人間で言えば「子供→大人」というような絶対に逆転させることのできない流れである。

ところがこの常識を覆したのがベニクラゲである。

ベニクラゲの成体に強い刺激を与えると、水底に沈んで動かなくなる。そして次第に溶解していき、久保田先生が「肉団子」と呼んでいる状態になる。普通のクラゲであればそのまま溶け去ってしまうのだが、ベニクラゲの場合、そこから2日ほどで走根と呼ばれる根が伸張し、新しいポリプが生まれてくるのである。

これはつまり「大人→子供」という変化である。いったん分化した細胞が脱分化しているのである。幹細胞がどこかに隠れていた訳ではなく、実際に細胞レベルで脱分化が生じていることまでは確かめられているらしい。

もしもこの「若返り」がいくらでも続けられるのであれば、ベニクラゲは生殖細胞を介することなく、永遠に生き続けられるということになる。このような生物は動物界では他に見つかっていない。いや、正確に言えば、もう一種類、ベニクラゲから系統的に離れているヤワラクラゲで見つかっているだけである。

そもそも動物の細胞には受精卵から数えた時、分裂できる回数に上限がある。DNAの末端にテロメアというカウンターがあり、分裂可能な回数を制御していると言われている。また、DNAは時間の経過と共に傷ついていくため、何らかの修復の仕組みがなければ、若返りを繰り返すことには諸々のリスクが伴う。

ベニクラゲがどのようにこの問題を乗り越えているかに関してはまだほとんど研究が行われていない。

久保田先生はあくまで個体レベルで研究に取り組まれているので、細胞内の現象の解明にはまた別の技術が必要である。そこで今、分子生物学を得意とする研究者とのコラボレーションを求められている。Researcher Zukanが今回取材を行ったのも、そのような結びつけが可能になればという願いからである。

現在のところ、久保田先生はひとつのベニクラゲを3回若返りさせることに成功されている。つまりクラゲ→ポリプ→クラゲ→ポリプ→クラゲ→ポリプ、である。他の研究機関では2回までしかできていないということで、これは世界記録である。

久保田先生が飼育されているベニクラゲを材料に、若返りがどのような形で行われているのか、明らかにしてくれる研究者が現れてくれないものだろうかと思う。

すぐに不老不死の人間が作られることはないだろうが、自分の細胞を若返らせることができれば、拒絶反応の生じない臓器を育てられるかもしれない。近年、幹細胞の類似物を作る研究が盛んに行われているが、自然界で長期間に渡って存在している脱分化の仕組みから得られる知見は多いのではないか。

ベニクラゲについてある程度の基礎知識が身についたところで、今回の訪問の目的であるインタビューの収録を始める。

水族館の水槽の前で撮影するか、あるいは浜辺で撮るのが良いのか迷った末、前半と後半に分けて二箇所で収録することにした。

インタビュアーは吉田さん。浜辺に立つと、いつになくさわやかな印象だ。

ResearcherZukanは全世界に向けて研究者の情報を発信することを目的にしているため、インタビューはすべて英語である。青い海をバックに、二人の日本人が英語でベニクラゲについて語る。この浜辺の一シーンが世界に繋がっているのだ。

参加者からいくつか質問があった。かなりマニアックな質問も出たが、久保田先生は落ち着いた態度で答えられていた。

収録は無事に終わった。

遠隔地での撮影につきものの機材トラブルもなく、一回の撮影で綺麗な絵が撮れたので良かった。

西に傾いた日が柔らかな光を投げかけ、穏やかな印象を与えるインタビューになったのではないかと思う。

「夕飯の前に温泉に行きましょうか」と久保田先生が提案する。

近所に「牟礼の湯」という有名な温泉があるらしい。有馬、道後と並ぶ日本最古の温泉のひとつだそうだ。

車に分乗し、海辺を走り、白浜の市街地に入る手前で停車する。

知らなかったら通り過ぎてしまいそうなくらい小さな建物だ。まるで銭湯。

しかしあたりには強い硫黄の匂いが漂う。

皆で湯船につかって雑談する。風呂の中でまで研究者の話を聞けるとは、何という盛りだくさんなインタビュー企画だろう。

「ここは本当に良く効くんですよ」

久保田先生は毎日のように通っている時期もあったらしい。

我々もベニクラゲで満載だった一日の疲れを癒した。

夕食は久保田先生のお薦め、「とれとれ亭」の魚介類バイキングに向かう。新鮮な魚介類をお土産に買える「とれとれセンター」に併設するレストランである。

席について、また久保田先生を質問攻めにする。

不老不死の秘密を求めて白浜まで来てしまうほど好奇心旺盛なメンバーが揃っているため、ベニクラゲと人類の未来に関して熱い議論が交わされた。

動物の細胞がいきなり若返るという現象は大変興味深いものだが、分子レベルで何が起きているのかについてはまだまったく手がつけられていないのが現状らしい。

ではなぜ今まで研究が進んでいなかったかというと、ベニクラゲの飼育が大変困難だったからである。

一般的にクラゲ類の飼育は難しい。水族館でクラゲを見ることが少ないのはそのためである。特にベニクラゲのポリプへの若返りには技術が必要とされ、実際に行える研究者が少ない。

久保田先生がかつて共同研究を行われていたイタリアのグループと、瀬戸臨海実験所のグループが活発に研究を進めているものの、他のグループはなかなか追いつけていない。

ある生物学的な現象についての研究を進める上で、特定の生き物を飼育する技術が鍵になることがたまにある。

たとえば神経細胞の発火パターンについて研究を進めるためには太い軸索が必要だった。太い軸索を持つ生物として知られていたのはイカだったため、のちに脳の研究者として有名になった松本元先生は若い頃、イカを飼育する方法ばかり研究していたそうだ。それがうまく行ったために神経活動に関する膨大なデータが得られるようになり、研究を大きく躍進させた。

まず飼育方法が確立されなければ、分析が進められないということである。つまりベニクラゲの研究は今からようやく本格化できるところなのだ。

瀬戸臨海実験所にはその技術がある。久保田先生が確立させた

クラゲからポリプが再生するまでに3日かかるのだが、今では子供たちが泊まり込みの体験実習に参加した際、自分たちの手でクラゲの若返りを実現させることもできるらしい。我々も時間があればそれに参加したかった。

「でも、他の所ではまだできていないんです。イタリアのグループも2回まで。3回の若返りに成功しているのはここだけなんですよ」

ひょっとして他のグループはクラゲに対する愛情が足りないのではないか。

カワハギのモンちゃんに餌をやる久保田先生の姿を思い出しながら、僕は考えた。

あるいは環境が重要なのかもしれない。ヤリイカの場合は、円筒状の水槽で水流を作ること、また、排泄物中に含まれるアンモニアが良くないということで、アンモニアを代謝する微生物をフィルタに住み着かせることで飼育に成功されたという。

「ベニクラゲの飼育にはどんな水を使っているんですか?」

「水族館が併設されているから、汲み上げた海水を流し続けてますね」

そのような条件の違いが実は影響しているのかも、と思ったりした。

しかしたとえ他の場所でうまく飼育できなかったとしても、モチベーションの高い分子生物学者が瀬戸臨海実験所に住み込んで共同研究すれば、いろいろ新しい成果が出てきたりするのではないかと思った。

海辺の街のレストランの海鮮料理は実に多彩で、食事はおおいに盛り上がり、いろいろなアイデアや計画が出た。

ひそかに驚いたことのひとつが、何度もバイキングのテーブルに足を運ぶ久保田先生の健啖ぶりである。みなぎるばかりのバイタリティはやはり豊かな食生活から、といったところだろうか。

夕食後、ほとんどのメンバーは帰ってしまったが、僕と西さんと栗原くんが残り、泊まらせてもらうことになった。実験所は各地の大学の学生が研修を行うための施設でもあるため、泊まれる部屋がたくさんあるのだ。

三人で久保田先生の車に乗り、とれとれ亭を出た。

だが実は夜はまだ長かった。

(続きは後日、この下に書きます)

久保田先生のページ benikurage.com

久保田先生の研究ページ

Researcher Zukan

Posted by taro at 2009年08月28日 22:36

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