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2008年11月25日

祖父の話(つづき)

予備練習生というのは軍隊の中で教育を受ける制度である。ぶーじーは軍用機の整備を学ぶ課程に入学した。戦争末期というのもあって、教育期間は短かった。最初の半年が普通科といって、勉強が中心。後半の高等科では実践を行いながら高度な技術を身につける。これを半年で卒業すると見習士官。その後は成績にもよるが、だいたい一年くらいで士官になる。

整備を学ぶ予備練習生はエンジン科と機体科のどちらかに配属されるのだが、ぶーじーはエンジン科だった。出撃から帰ってきた零戦のエンジンを整備するのである。普通科の時はかなり熱心に勉強したらしい。民間の航空機会社で一年間働いた経験も効いたのかもしれないが、百五十人いた同期生の中でトップの成績で修了した。国を守るためだから、モチベーションが違う。

「そもそもどうして飛行機やろうと思ったの」
「そりゃ、国を守るには飛行機だって思ったからね」

連日のように各地の都市が空襲を受けているのだから、そう思うのも当然かもしれない。昭和二十年七月、ぶーじーは予備練習生の高等科に進学した。

「ところが高等科に行ったら飛行機がない。戦争の末期で日本に飛行機が残ってないんだよ。だから整備なんてまったくしてない。防空壕堀りが専門だよ。寝泊まりも防空壕の中」

そして翌月、戦争は終わる。

軍隊はなくなり、学校は解散になった。戦争で死ぬはずだった青年の前には洋々たる未来が開けた。

「もし戦争が続いてたら士官になってたわけ? すごいやん」
「いや、士官になったらたぶん死んでたよ」
「それはそうかも」

何もすることがなくなってしまったため、両親が疎開していた長野に向かった。終戦の混乱の中、車内は人でごったがえしていた。

一応自分は軍人ということで、二等車に乗り込んだ。そこへ車掌がやってきた。見たところ復員兵、つまり軍隊上がりの男である。十八歳のぶーじーが高級仕様の二等車に腰掛けているのを見て、

「貴様、何級だ!!」

と詰め寄ってきた。ぶーじーは敬礼して、

「海軍予備練習生高等科の下島です!」

と答えた。すると復員兵の車掌は鬼のような顔になって、

「貴様の席はここじゃない!! 三等に行け!」

と怒鳴られ追い出されたのだそうだ。

なかなか乱暴な時代だった。今、JRの車掌がうやうやしく「お客様、切符を拝見」と尋ねているのを見るたび、時代の移り変わりを感じるのだそうである。

しばらくしてぶーじーは兄のいた秋田に行って働き始めた。そこで祖母と出会って結婚した。僕の母は秋田で生まれた。

やがて東京に戻り、自動車会社に勤めるようになった。技術系の仕事をしていたのだが、内向的な性格を心配した祖母にもっと人と話す仕事をしたらと勧められ、営業を担当することになった。そこでまた新たな才能が開花して、僕がよく知っている陽気な人になった。

自動車から自動車保険を売るようになり、今に至る。職場はずっと渋谷であり、東京の片田舎から現在の賑わいまで発展していくのを見てきた。数年前にオフィスは溜池山王に移ったが、飲みに行くのは渋谷である。

今回もまた、僕はぶーじーに連れられ宮益坂で飲んだ。もう何十年も付き合いのあるレストランである。ぶーじーは酔うと手帳を取り出し、書きためているお気に入りの詩を読み始める。手帳の他のページは仕事の予定でびっしりだ。

ぶーじーと話していると、人生は何があっても何とかなるんだろうなと思う。現代に生きる僕からは思いも及ばない激動の中を生きてきたわけだが、それでも何とかなってきた。たぶん、人間は自分で思っている以上に未来をよくしていけるものなのだろう。

Posted by taro at 2008年11月25日 22:34

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