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2007年09月21日
鹿狩りしてきた。
鹿狩りしてきた。
「スーパーに売っていないものを食べることで、食と自然に関して考える」という目的で活動している野食計画という団体の企画で、猟師さんたちの協力を得て実施されたイベント。
初めて猟にお邪魔するということで、大勢で行っても大丈夫なのだろうかという懸念はあったが、とりあえず阪神間に住むM田さんに声を掛けた。奥さんや友達を誘って三人で来てくれるという。
九月上旬の日曜の午前九時、阪急沿線の某駅に集合。改札に現れたM田さんは、なんと半袖姿である。
「えーっと……。これから山に行って猟をするのですけど」
「あー、そうか。半袖はまずいかな」極めてのんびりしたキャラクターであるM田さん、おっとりした口調で言う。
だが、M田さんの奥さんとその同僚であるT村さんを見て、さらにショックを受ける。半袖の白いシャツ、肩から掛けたトートバッグやショルダーバッグ。化粧もばっちり決めている。
「えっと、まじで山に上がるんですけど」
T村さんは阪急沿線の武庫之荘に住んでいるそうだが、実際、とても上品な阪急沿線的雰囲気を漂わせた人。M田さんの奥さんはもうちょっと活動的な感じ。
駅前の駐車場に降りると、山歩き風の装備に身を固めた野食計画のメンバーがすでに集まっていた。
代表のマツムラ嬢。創設者であるダイスケ氏。二人は先週も淀川でホームレスの人に教えられ、川底の泥の中から集めたシジミの味噌汁を作って食べたというつわものである。
高校教師のタニ氏。僕より四才年下のようだが、見えない。貫禄がありすぎる。ごつい。ものすごく荒れている高校で教えているらしい。「体育の教師ってよく訊かれるけど。実際は英語教師です」とのこと。
ニシ氏。四十才ということだが、もっと若く見える。すでにニュージーランドで鹿狩りした経験があるという。
そして今回、僕らを猟に誘ってくれた猟師の江口さんからレクチャーを受ける。
「今は非猟期なので、特に理由がなければ猟をすることができません。けれど、有害鳥獣駆除という名目で行くことができます」
実際、腕に「有害鳥獣駆除」と書かれた黄色い腕章を付けている。農産物を荒らす害獣を駆除するために猟をするのである。猟で生計を立てている分けではない。鹿狩りはあくまで趣味であり、人助けである。「鹿や猪はものすごい勢いで増えるからね。駆除しなかったら、そのうち駅前で猪が寝とるようになります。あれ、犬かなと思ったら。猪だった、とか」
抑揚を付けた独特の口調で説明する。狼のような食物連鎖の頂点に立っていた生き物が絶滅してしまったために、その下に位置していた鹿や猪が増えすぎてしまうのである。だから人間が狼の代わりに鹿や猪を狩って、バランスを取らなくてはならない。
二台の車に分乗して山に向かう。のどかな郊外住宅地の間を抜けて、山の麓、田んぼの脇で車を停める。小高い丘である。盛夏を過ぎた木々の穏やかな緑が青空に映える。
車が次々に集まってきた。猟銃を持ったおじさんたちが降りてきて、僕らを取り囲む。人数は十人くらい。皆、オレンジ色のメッシュ地のジャケットを上着の上に着て、黄色い腕章を付けている。頭にはつば付きの帽子。年齢層は高めである。僕らと同世代はいない。見た所五十歳代くらいに見えるが、あとで聞いたら六十歳代の人がほとんどとのことであった。
背の高いリーダー風の男性が「君ら何の団体やねん」と聞いてくる。
「自然のものを食べようという団体で……」と説明する代表。しばらく「何を食べられるか」という話題で盛り上がる。
虫除けスプレーを渡された。山中は蚊が多いらしい。手渡されたM田さんは、スプレーのラベルを見て悲鳴を上げた。
「こ、これ、犬猫用だぜっ」
ラベルにしっかり、「ジョイペット スキンガード 犬猫用 ペットのカラダの虫よけに!」と書かれている。

「これはすごく効きそうですねぇー」
日に焼けた精悍なハンターのおじさんたちに囲まれながら、若干青白めの肌にスプレーをかける僕ら。
「獲れるかどうか分からんけど、獲れんかったら山歩きということで」
このグループでは主に鹿とシシ、つまり猪を狩っている。しかし猪は今の季節、脂肪があまり乗っていないため美味しくない。秋にドングリをたくさん食べて脂肪を蓄積しているので、冬場に狩った方がいいのだ。逆に鹿は夏が一番おいしいらしい。
「暑いから行きたくないねんけど、農家の人に頼まれたら行かなくちゃならん。畑荒らしてる言うから」
農家に取ってはとても頼りになる助っ人なのである。一年に鹿を四十匹から五十匹くらい、猪は四匹か五匹、仕留めているという。猟の中心は犬と銃。白い毛色のシロ、茶色のヤマという二匹の犬が軽トラに乗せられたケージの中で出番を待っている。
「猪って危険なんですよね」と聞いてみる。
「ああ。この前襲われたよ、わしら」校長先生のような威厳あふれる雰囲気のおじさんが言う。「牙で突かれたら大怪我する」
「そういう時はどうしたらいいんですか」
「撃ち殺すだけ」
「……なるほど」
「三人で十五発も撃ったからな」
「最初に三発撃って、結局は当たってたんだけど、それで手負いになって。俺が二発撃って、それも当たってたんやけど、また逃げたんや。笹の中に逃げ込みよったら、犬もよう行けへん。それで笹の茂みに向かって何発か撃った。そしたら突然、飛び出てきた。かっちゃんが転んで。腹に刺されたかと思ったわ」
リーダー風の男性は照れるようにこめかみを掻いた。仲間からはかっちゃんと呼ばれている。
「足、こうしとったら、ばーんって当たって、転んだんや。で、この人は牙で持ち上げられて」
校長先生が持ち上げられたらしい。どれだけ力のある猪か。「犬がやってきて、わーわー吼えて」
「飼い主を守ってくれるんですね」
「体当たりされて、こことここに怪我して」結局、銃で撃ちまくって仕留めたそうだ。「三時間くらいかかったもんな」
M田さんが腕を組み、感心する。「十五発も撃たないと死なないんだ」
全体で120kgあったらしい。肉屋に売ったら四十万円くらいになる。「それを六時間掛けて解体したんや。少しでも多くの脂を取らないかんから」
「次の日、ものすごい体が痒くてなぁ」ダニがくっついていたのだという。
「そのシシ肉があんたん所に行ったやつ」江口さんがマツムラ代表に言う。
「ああ、そうだったんですか」
野食計画ではその猪をボタン鍋にして、おいしくいただいたのだ。
「あんな面白い猟は滅多にできへんな、でも命懸けや」
「俺は二回目」リーダーが自慢する。
「子供を連れた母親猪は本当に危険やで」僕はこの前、六甲山山麓の公園で普通に子連れ猪を見かけたのだが。のどかな風景だと思っていたのだが。
「犬はやられたりしないんですか」とダイスケ氏が聞く。「この前、前脚をやられたりしてな。猪を怖がるようになってしまった」
本来、犬は猪と直接戦ったりはしないのだ。猪の方が力は強い。だから犬は吼えて脅して猪を誘導し、猟師が待ちかまえている所まで近づけさせるのが仕事。
「強いんですね、猪」
「毎年、年寄りが何人か殺されている。牙で内臓突かれたりしたら、死んでしまうからね」
今回の企画、ちょっと危険だなと、今さらのように自覚した。鹿が出てくるか猪が出てくるか、まだ分からない。
さて、猟メンバーに教えていただいた狩猟の仕組みは以下の通り。
まずは山に上がって、皆で獲物のいそうな場所の目星を付ける。その方法は江口さんに言わせると「インディアンと一緒」。隈無く歩き回って、足跡を探す。場所を決めたら、それぞれの持ち場に着く。基本的に二つの仕事がある。勢子(せこ)と射手(しゃしゅ)。まず、勢子は犬を連れて山道を延々と歩く。犬はかなり広い範囲を走り回り、獲物の匂いを探す。よく訓練されているため、猪か鹿を見つけたらすぐに吼え立てる。獲物は驚いて逃げ出す。おそらく射手たちが待ちかまえている方向に獲物が逃げるように誘導するのだろう。
射手はあらかじめ山の斜面に沿って広い間隔を開けて配置し、獲物がどのルートで走ってきても撃てるように構えている。隣の射手までの距離は百メートル以上離れているが、もちろん仲間に向けて撃たないように注意する。弾がどこまで飛ぶか分からないので、水平に撃つのは禁止。
「猟は一に脚、二に犬、三に鉄砲」という格言があるらしい。銃を使うのは本当に一瞬だけである。
「この方法は囲い込み猟いうねんけど、追い物ゆうのもあって。人間と犬が一緒にキジやヤマドリを追い掛ける。けどあんま獲られへんから、最近は行う人少ないな」
「山で他のグループと出くわすことはあるんですか」
「あんまりない。この山はどのグループって決まっていて、他のグループは入ってこれない」
「猟師の掟は、一番最初に入ったものが権利ある」リーダーが補足する。「猪は金になるから、汚くなる。掟を守らんやつがおる」
「僕らは趣味でやっているわけだけど、プロもいる。罠を使えばひとりでもできる。冬の小遣い稼ぎにはええで。猪専門の猟師とかおる。一匹仕留めたら四十万円になったりする」
はぐれ猟師。ダーティーな感じだ。
銃について説明を受ける。散弾銃と単発のものを両方使う。大物を狙う時にライフルを使うこともあるが、ほとんどの人は持っていない。
「これが散弾銃」
「うわ、デザインがすごくいけてる」
ダイスケ氏が声を上げる。彼の本職はデザイナーである。みかんを輪切りにしたような形で弾が入っているデザインに感銘を受けている。

「年によって色が変わるねん」青や緑、薬莢の色がそれぞれ違う。火薬も自分たちで調合するらしい。それによって銃弾の初速が変わり、百メートル先でどれだけ下に落ちているかが決まる。
いかついヒゲを生やした猟メンバーがベルトのように腹に巻いている銃弾を見て、
「これもかっこいい。ウェスタンの世界じゃないですか」
「僕の親父は鉄砲やってたんですよ」とタニ氏が言う。「『銃と弾は別の場所に置いとかなあかんねーん。うぉうぉうぉぉ』ってよく吼えてましたよ」
我々男どもは完全に銃の話に夢中になり、その間、女どもは犬を見に行っている。
銃や火薬について詳細に説明してくださる姿を見ていると、フィギュアや鉄道模型にはまる現代のマニアに通じるものを少し感じた。少し年齢の若い猟グループのメンバー、須磨但馬氏に言ってみると、「あー、それはあるかもね。マニアの元祖かも知れないね」と賛同を得られた。
全員集合したということで、車に乗り込んで山道を上がっていく。日射しのよく差し込む里山の林、舗装された細い道。見晴らしの良い斜面の脇で車を停めた。滑り止めの溝が刻まれた急峻な坂の下には、残暑の熱気に蒸された住宅街が連なっている。
先ほど囲い込み猟の方法について書いたが、実はこの時点ではまだ何も知らされていない。車を降りた我々は二グループに分けられ、猟メンバーに指示されるまま、それぞれの場所に連れて行かれる。ダイスケ氏、タニ氏、僕は射手に連れられて山を上がった。
「山の向こう側に勢子が行ってるから。鹿か猪を見つけたら、無線連絡がある。それまではじっと待つ」
リーダーの先導の元、僕らは細い沢を越え、道なき道を駆け上がった。スピードは速い。かなり山の中に分け入った所で立ち止まって、猟メンバーは相談を始める。斜面のあちこちを指さしながら、どこに立ったらいいかを検討している。
「あっち行くか、こっち来るか。沢の方に行くか。こう来たら、こう撃とか」
獲物がどのルートで走りうるかを推測しているのだ。獲物といえども地面を走る存在。自然、走りやすい道というのがある。それを見越して配置を決める。もちろん、僕が見てもただの落葉樹林にしか見えないが。射手の数は限られているので、なるたけ広い幅をカバーできるように配置しなくてはならない。
「それじゃ、タナベさんはここで待っててもらって。あんたらの一人がここに残ったらええ。静かにしといてな」
タナベさんはこのグループでは少し年配のメンバーだ。もう一人の射手は小柄で理知的な感じの男性。極限的な状況下でも冷静に判断を下しそうな狙撃手風の人物だ。
僕はタナベ氏と残ることにした。リーダーがダイスケ氏とタニ氏に注意する。
「自分の靴が大丈夫か考えてからついてきてな」
急な斜面を勢いよく上がっていく。先頭組の姿が見えなくなってしまうと、タナベ氏が穏やかな口調で言った。「さ、これから長いで」袋から手斧を取り出して、傍らの木の枝を叩き始める。
「それは何をしてるんですか」
「シガキ言うて。隠れる所作るのや」
あたりから灌木の枝を集めてきて、木に面して小さな茂みを作り始める。

隠れるといっても、枝の間から透けて見えすぎである。だが、鹿や猪が猟犬に追われて必死で走っている時には、これくらいの茂みに隠れているだけで十分見逃してしまうものなのかも知れない。
「そしたら君はここにおって」
下生えを払って平らにした一角に僕を座らせる。
「来ますかねぇ」と呟くと、黙ってにっこり笑った。優しそうな人だ。
「動物は聡いからな。ぱっと全体を見て、動いてるもんあったら逃げる」
「反対側から来たら、茂みの反対側に回るんですか」
「いーや、動物来たら動いちゃいかん」反対側から来ることはないのだろうか。
「上の人たちは今、足跡を探しているんですよね」
「そう。それが古いかサラいかな」タナベ氏の脇腹にくくりつけられていた無線機がガーガー鳴った。ひび割れた声が言う。「上におるし。上向いて撃たんといてな」
「おたくも下向いて撃つなよ」
重そうな無線機を使って話しているが、実は携帯電話のアンテナも普通に立っている。
無線機を切ったタナベさん、「今から一時間くらい掛かりまっせ」と言ってどっかりと腰を下ろす。実は猟の仕組みに関してはこの時タナベさんから教えてもらった。山の反対側から勢子が獲物を追い立てる一方、射手が山の斜面に上から下へ間隔を開けて並び、誰かが仕留めるという構図。お互いの姿は見えないが、だいたいそれぞれがどんな動きをしているかはイメージできる。
「向こうからあのおっさんが犬連れて追いよる訳ですわ」おっさんというのは勢子をしている校長先生のことだ。
「獲物が反対側から来ることは無いんですか」
「それはない。勢子が向こうから追い寄るし。だけど広い山やさかいな。どこに来るか分からん。運が悪いやっちゃ、獲物が来るやつは」
いや、運がいいと思う。チームワークなので、自分の傍らを鹿が駆け抜けていった時、はずしてしまったらかなりのヒンシュクだ。一方、当てた時の喜びは大きいだろう。チームで行うスポーツに似ている所がある。
「今日は待っとるのは五人ほどや。待つものが多いほど効率は上がるわな。あちこちで道ふさげる。たった五人やったら来るかどうか分からへん」そして僕をしみじみと見つめて、ぼそりと言った。「あんたら、こんなアホみたいに暇な所によう来たもんやな」
猟は暇なものらしい。
無線機に何か音が入った。タナベさんが緊張した様子で立ち上がる。動いてはいけないと言われている僕は草の上でじっと身を固くする。ぱーん、という乾いた音がした。
「あ、撃った」
タナベさんは銃を構えた。
「こんなに早いのは珍しい。あんたら運がええわ」
無線機の向こうから声がする。「かっちゃんの方行った、かっちゃんの方行ったぜ」
「どうして分かるんですか?」
「みんな誰がどこにいるか分かってるからな。今のはな、動物が起きたってこと。鹿か猪かは分からん。走って逃げたらしいわ」
勢子も獲物を実際に見た訳ではない。犬が吼えたことによってそれと知るのだ。タナベさんはしばらく身構えていたが、やがて無線機に耳を澄ますと、ぽつりと言った。
「終わり」
「仕留めたんですか」
「逃げよった」タナベ氏が無線機を差し出した。ウォウ、ウォウという呻き声が聞こえてくる。「これは……」
「犬の声や」犬の首輪にも無線機を付けていているのだ。「吼えてる声の大きさでだいたいの距離が分かるし。わしのでは分からんけど、いいやつだと犬の場所も分かる。それで獲物が外に出ちゃったって分かる」
「そしたら犬を呼び戻すんですか」
「いや。犬はなかなか戻らへん」
「戻れって言っても戻って来ないんですか」
「うん。疲れたら戻ってくるけどな」いったん獲物を追い始めたら、容易には止まれない。犬の悲しい性だ。「意味ないのに」
「いや、一応獲物を連れ戻そうと思っている。でもわしらはカンでもうあかんって分かる。そしたら戻るかってなる」今回も「もうあかん」のケースだったようで、走り続ける犬を残して山を降りることになった。「一晩走る犬もおるけど。この犬は二時間走ったら戻ってくるから。これくらいの山ではちょうどいい」
一晩かけて行う猟って……。いったいどんな猟なのだ。
「昔は三時間でも四時間でも、弁当持って上がったりしたんやけどね。大きな山で」
若き日のタナベさんを思い浮かべる。そして猟グループ。今よりも規模が大きく、総出で山に上がっていたのだろうか。広い範囲をカバーするためには、それだけ人数も必要である。タナベさんは残念そうに言った。
「今日はあかんな。せっかく君らにええかっこ見せようと思って来たのに……」首をすくめる。
「いや、いいですよ。こうやって猟をするんだなってのが分かって、面白かったです」
「今、わしらは趣味でやっとるけど。昔は職業猟師が結構おって。今も猪専門の猟師はおるよ」
「一人で狩れるんですか」
「犬がよければ。それと罠とな。最近は罠が良くなってきて。はびこってる」また無線が鳴った。「もう終わりやな」などと確認している。「しかし君らも物好きやな。昔は面白いこともなかったから鉄砲撃ちでもしようかってなったけど。今は面白いことなんぼでもあるやろ」
「猟をする人は減っているんですか」
タナベさんは頷く。
「今日はわしも寝てようかと思ったけど、かっちゃんが呼びに来たもんやから。昨日ゴルフ行って、しんどうて」
そういえば昔はゴルフすら無かったはずだ。猟に行くのが男の遊びだった。
「で、君らは何の会やったって?」
「『野食計画』です。スーパーで売っていないものを食べることによって、食と自然に関して考えるという会です」
「ほぉ、何でも食うんかいな」
「ザリガニとかセミとか。僕はまだ食ってませんけど。代表の人とかがよく食べてます」
「そんなん普通やん。誰でも食えるやん。ムカデ食え、言うとき」
「あ、僕は食べませんけど、きっと誰か食べると思います」
「ミミズはもう食べたやろ」
「どうかな。まだなんじゃないですか」
「二十年くらい前に流行ったんやで。養殖で。薬になるいうて。熱冷ましの薬やね。鹿などは売っとるやん」
「いや、山で仕留めた鹿を食べたい訳です。変なものを食べるのが目的というか、自然環境について啓発することの方が目的であって……」ふうん、という風にタナベさんは首を傾げる。「ま、日曜にこうやって山に入って座ってるおっさんがいるって、おもろいやろ」
「ええ」
「自然と溶け込んで、って訳にはいかへんで」
「無線機持ってますしね」
さきほど斜面を上がっていった皆さんが降りてくる。リーダーが悔しそうに言う。「上の方に抜けてしまったみたいやな」
つまり、ある程度の間隔を開けて散らばったはずだったが、一番上に位置していた射手のさらに上を抜けられてしまったのだ。サッカーでディフェンスを突破されたような感じか。
「惜しかったな」
「百メートル上を走っていきよった」
「あれは鹿ではないな。シシやな。鹿はあんなに上を走らへん」
「犬の声、聞こえましたよ」とダイスケ氏が言う。猪は必死で尾根を走ったのだ。それによって命拾いした。
「しっかし、よお二人ついてきた」リーダーが感心したように言う。ダイスケ氏とタニ氏を見直したようである。今時の若者はもっと体力ないだろうと思っていたのかも知れない。かたや淀川でシジミ漁って食ってる野食計画創設者、かたや大阪の荒くれ高校の教師。弱音を吐くことはできない。
「滑って上がれないんですよ」とタニ氏。急斜面を駆け上がろうとすると、滑ってしまうのだ。
ダイスケ氏が最上段、タニ氏が第二段まで上がったそうである。二人ともシャツは汗まみれ。山道を降りていく。
「蝉が鳴いていますね」とタニ氏が指摘する。そういえば都心ではもうあまり蝉の声を聞かない気がするが、山ではまだまだうるさいほど鳴き続けている。
行きの車の中では相当饒舌だったタニ氏、かなり静かになっている。さすがに山を駆け上がって疲れたか。
M田さんたちが道路のすぐ近くで僕らを待っていた。いったい何が起きているのか分からず、きょとんとしている。猟メンバーは道ばたに集まって、反省会を始める。猪がどう走ったのかを再現している。この山の地理はくわしく分かっているのだ。
「もういっぺんしよか。下の方で」という話になっている。
「一回やったら、しばらくできないんじゃないですか。獲物が逃げちゃって」
「いや、別の所でやる。ここは放ってしまう。なんぼでもおるからね」車に乗り込んだ。
「これ、邪魔で」後部座席に腰掛けたダイスケ氏が無線機を手に取る。「携帯、普通に入りましたよ」と僕。
「でも、携帯だと一度に全員と通信することができないでしょ」
「なるほど」
麓の弁当屋まで行って、各自昼食を購入する。一度に二十個近い注文を受けた弁当屋は大変だ。毎度のことかも知れないが。「すぐにできる弁当」というのがいくつか用意されていた。ニーズに応えている。
帰り道、今度は江口さんのノアに乗せてもらった。M田さんたちに狩りの仕組みを説明する。僕も知ったばかりなのだが。
「犬が吼えて獲物を追い立てて。射手という人たちが待ちかまえていて、銃で撃つんです」「なるほど」ようやく自分たちの仕事を理解した様子のM田さん。その時、代表のマツムラ嬢が乗り込んできて、「すいません、もう一回説明してもらえますか」彼女も分かっていなかったらしい。
「でも、どうして獲物が寝ている所を襲わないのかな。わざわざ犬を使って起こさなくてもいいんじゃないか」とM田さん。
「そういえばそうですね」
「寝てる所、いきなり撃てばええんちゃうん」
「猟グループの人に聞いてみたら」
「『あっ』って言うかも」M田さんの奥さんがおどける。
「数百年間、誰も気付かなかった」
「大発見だな」
江口さんが運転席に乗り込んだ。
「こんだけ人数がいても、逃げられちゃうんですね」
「向こうの方がうわてや」
「猪の方が鹿より賢いんですか」
「そうやね。猪の方が賢いな。鹿は耳が効くし、脚も効く。それでしくじる。自分に自信があるから、人の撃ちやすい所に走る。猪はもっと慎重、脚も遅いし目も悪いからね。暗い所で様子を窺って、ばーって走る」
「なるほど。鹿は逃げられると思って走って、撃たれてしまう」
「昔の諺に、『親の言うこと聞かぬ鹿の子は、野に出て野で果てる』ってのがある」
「どういう意味ですか」
「鹿の親は山に逃げろって教えるけど、小鹿は野の方が走りやすいから、山の下に出てしまう。それで撃たれて死ぬ」
「かわいそうなもんですね」
「鹿の親は子供を呼ぶんよ。親はすごい速度で逃げるからね。でも子供は脚力が無いから付いていけない。そして先に行った母親が小鹿を呼ぶ。ぴーっ、ぴーって。切ないね」
「猟の格言って、いろいろいいものがありそうですね」
「『言い訳を 考えながら 山を降り』」
「うまい」
「『鉄砲よりも 言い訳の腕を上げ』」
「字余り」
猟の知識が無ければ味わえない様々な格言がありそうだ。
「猪は公園とかで見かけるから、あまり怖いと思えないんですけど」とM田さんが言う。たしかに六甲山の麓で見かける猪はのんびりしていて、簡単に狩れそうだ。半袖で来てしまう気持ちも分からないでもない。
「モードが違うんですよ。山にいる時と公園にいる時では」と僕。
「子を連れた猪はやばいよ」江口さんは繰り返す。山道まで戻って、皆で斜面に腰を下ろして昼食を取った。
「どうや、猟の印象は」リーダーが聞く。
「こんなにチームワークだとは思いませんでしたよ」
「うん」
「あと、すごく忍耐力が要求される」猟メンバー、頷く。
「獲物が近くに来たら、蚊を叩いてもダメ」
ちょっとの音でも気付かれてしまうのだ。
「動物は人間の匂いを憶えてるから、風下にいなくちゃならん」リーダー。
「でも、風向きは変わるじゃないですか」
「変わる」
「そういう時は?」
「しゃぁない」
首をすくめるリーダー。
「今日は足跡はあんま探してない。小さい山やさかいな」狙撃手氏が説明してくれる。
やがて午後のラウンドが動き出した。「すいません、勢子やらせてください」とお願いしてみる。射手と追い返しの仕事は分かった。勢子がどういうものか、どうしても知りたい。
リーダーは少し考え、校長先生の方を向くと、「やってもらおか。どんだけしんどいか、分かるやろ。行くんやったら首にタオル巻いて。虫、出るしな」
「大きな声出したらいいやん、ほぅ、ほぅって」勢子というのはそういうものらしい。あるいはかつてそういうものであったというのを踏まえて冗談で言っているのかも知れないが。
「でも、その靴じゃいかんな」
校長先生が威厳あふれる態度で言う。「ハメが出るしな」
「ハメ?」
「まむしのこと」
長靴を貸してもらった。
僕とダイスケ氏は校長先生の軽トラの荷台に乗せてもらい、でこぼこの山道を上がる。タナベさんが助手席に乗ったため、僕らは荷台に乗る。横で猟犬のシロとヤマがはぁはぁ息を吐いている。彼らはまったく吼えない。獲物を見つけた時しか吼えないように鍛えられているのだ。――犬ってどうやって会話するのだろう? ずっと黙っているのって、しんどくないか?

車を停めて、射手として山に入っていくタナベさんを見送って、我々はその場で待つ。
射手が持ち場に着いてから、勢子は獲物探しを始めるのだ。校長先生が自分の息子の年齢を話し始める。僕らはそれより若い。そして山歩きの体力面でちょっと負けている気がするのはやばい。
待つこと十五分ほど。僕らは山道を歩き始めた。ハイキングコースのように人が歩ける道になっている。昔は勢子が直接猪の寝ている場所まで行ったらしいが、今は犬が見つけて吼えるので、勢子は直接山の中に分け入らなくてもいい。犬の訓練の技術も進んでいるということだろうか。
「獲物が走るのをやめたら吼える。ある程度離れたら吼えない。そうやって追い立てていく」
犬、賢い。
「どうして獲物が寝ている所を襲わないんですか」
「みんなで近づいていったら危ないやろ。お互いに撃ち合いになって。それに、犬に当たるかも知れん」
なるほど。M田さんの大発見は容易に覆されてしまった。
「誰がどこにいるか分かった上で撃っているからな」
「猟の最中に流れ弾に当たって死ぬ人とかはいないんですか」ダイスケ氏が不安そうに聞く。
「それは人間が一斉に獲物を取り囲むという猟の場合。北海道でやってるやつや。やり方がこことは違う。あとは、勝手に自分の持ち場を離れたりした時やね」
そういうことをしなければ大丈夫、ということらしい。
「保険とか入ってるんですか」
「入ってる。猟保険。普通の保険は適用されへんからな」
やがて校長先生の携帯が鳴った。何事か話している。
「たぶんシシやと思うけど、爪がそっち向いてるって」
猪が近くにいるのか。
二頭の猟犬は山道を軽々と歩き、やがてその姿は見えなくなってしまう。
「匂いがあったみたいやな。匂いが無ければ、近くにいる」
ヤマだけ戻ってきた。
「シロは猪、ヤマは鹿の匂いでしつけてある」
分業があるのだ。
「シロは匂いを辿っている所なんですか?」
「うん。でも夕べの匂いかな。もし昨日の匂いがあったら、車から降ろした時にすぐ吼える」
賢い。
かなり歩いてから立ち止まる。無線機が音を立てていた。
「ここに来とるよ、シロが」と言っているのが聞こえてくる。
校長先生が笛を吹いた。これで犬を呼び戻すらしい。
さらに無線機の番号を合わせて、「ほいっ、シロ、戻ってこい」と呼びかける。
それで分かるのだろうか。犬、賢い。
無線機を見せてくれる。電波の強さが表示されている。これで猟犬までのおおよその距離が分かるらしい。
ヤマはそれほど離れずについてくる。
「ヤマは頼りない。あいつは鹿だけ」
「シロとヤマはいつも別々に行動するんですか?」
「そう」

登山道の左手に直径一メートルくらいのへこみが二つあった。
「これはね、二、三日前に鹿が寝た跡。こっちは一週間前に猪が堀った穴」
校長先生が説明してくれるが、どちらもただのへこみにしか見えない。パターンは限られているのだろうが、見分けられるのはすごい。雨が降るたびに形が崩れるので、どれくらい古いか分かるのだという。
尾根伝いを歩く。いくらでも上がっていける。この山はいったいどこに続いているのか。木の間を抜けるたび、顔に蜘蛛の巣がかかる。
「午前の射手の時と、どっちが大変?」とダイスケ氏に聞いてみる。
「さっきの方が、距離は短かったけど急斜面だったからな……」
水を持ってきていないことを悔やみ始める。かなり喉が渇いてきた。
いつの間にかかなりの高さまで上がってきている。木立の間から見下ろすと、午後の日射しに照らされてくっきりと輪郭の浮き上がった住宅街が広がっていた。
不意に校長先生が立ち止まる。
「あれ、おったかな」
「あ、止まっている」ダイスケ氏も異変に気付いた。
猟犬のヤマが動きを止めている。
校長先生が銃を構えた。
「寝てるかな?」
ヤマのいる方向に、慎重に近づいていく。緊張感が走る。
だが、すぐに校長先生は銃を下ろして、気の抜けた調子で言った。
「寝とらんな。ああゆう草の中に寝とるんだがね」
さらに歩く。
「ここ、猪が餌を食んだあと」
木の肌が削られている。
ふたたび、登山道の真ん中に巨大なへこみを発見。
「これはヌタ」
校長先生が説明してくれる。猪が体についた虫をそぎ落とすために、土の中で暴れた穴なのだ。深さは十センチ程、直径は一メートル以上。巨体である。こんなものに襲われたくない。
少し開けた場所まで来た。日射しが差し込み、明るい木立。
「この山、猿はいないんですか」ダイスケ氏が聞く。
「たまにいる」
「猿猟はしないんですか」
「しない」
「どうして?」
ちょっと考え込んだかと思いきや、無線機に耳を澄ませている。
「あ。吼えてる」
無線機の向こうで犬の吠え声がする。獲物を見つけた印だ。僕らは動きを止める。校長先生が銃を構えた。
だがその時、山の向こうで銃声が響いた。乾いた音が木々の間を抜けていく。
「K田の銃やな」
狙撃手氏の名前を言った。銃の音で分かるらしい。
無線機を合わせて、犬の声を確認した。
「シロが鳴いてるな。当たってないんか?」
目盛りを回すと、ノイズの入り交じった人間の声に切り替わる。それに耳を当てた校長先生、
「こけたみたいやな」と呟く。
「こけたというのは?」
「鉄砲うって、倒れたってことや」
「はやっ!」
獲物を仕留めたのである。
校長先生の携帯が鳴った。かわいらしい呼び出し音。山の中、銃と無線機で狩りをしていた所に突然携帯が鳴ると、少しギャップを感じる。
しかし一対一のやりとりを行う場合は、もちろん携帯の方が効率はいい。リーダーからの電話だったようだ。
「K田の音やなって思って。かっちゃんのにしては、えろう響いてたなと思って。ああ、うん。まだ力余ってるみたいだから。引っ張ってもらおうと思う」
携帯を切った校長先生に間髪を入れず尋ねる。
「鹿ですか、猪ですか?」
「分からんけど、何匹かおったっていうから、鹿やろ。二頭おって、一頭を仕留めて。シロはもう一頭を追い掛けて行ったみたいやな」
獲物に逃げられるとどこまでも追い掛けてしまう犬の性。
校長先生は携帯をポケットにしまうと、登山道の先を指して言う。
「そしたらあんたら、そこまっすぐ行って、明るくなってる所で左に曲がって。沢まで降りてまた上がったら、みんないるし」
かなりおおまかな説明。
「僕らだけで行くんですか」
「うん。わしは先に下に降りとるし」
見知らぬ山である。これだけの説明でたどり着けるのか。
ヤマが校長先生の足にすり寄った。こいつも帰る気だ。
だが、ここで校長先生と一緒に帰ってしまったら、何の仕事もしたことにならないだろう。そこで僕らは射手の部隊と合流することにした。
登山道を覆う枯れ葉を踏みしめながら歩く。麓からはかなりの距離がある。木々の間隔が広く、開けているとはいえ、山の中だ。校長先生はすでに僕らに背を向けて、元来た道を引き返していく。僕らは銃も持たなければ無線機もない。携帯電話しかない。
ダイスケ氏がぽつりと呟く。
「これ、ホラー映画で二人とも死ぬシチュエーションですね」
「あ、たしかに。何かに襲われる状況だ」
猪出てきたらどうなるのだろう、とか思う。先ほど猟銃を鳴らしたので、皆逃げてしまったかも知れないが。
歩きながら、僕は先ほどから感じていたことを言ってみる。
「猟って何に近いかといって、ゴルフに近くない?」
「ゴルフ?」
「大勢で集まって、ペースは結構のんびりしているけど、かなりの距離を歩く。あとは道具に拘るとか」
射手として急斜面を駆け上がらされたダイスケ氏はあまり納得がいかない様子。
「年齢層も近い?」
「そうそう」
「ショットって言うしねぇ」
「そうだ。英語で『ゲーム』って言ったら、元々獲物って意味ですよ」
そもそもイギリスでゴルフが始まった時、ゴルフと狩猟の愛好家層はかぶっていたのではないか。木を切りすぎて狩猟できなくなったからゴルフを始めたとかではないのか。
左に曲がれと言われていたので曲がったのだが、ものすごい急斜面だ。そこをそろりそろりと降りていく。
途中、不安になって大声で呼びかけると、返事があった。下方向、声は思ったより近い。
斜面の下の沢に人影が見えた。オレンジの蛍光色のジャケットを着ているのですぐ分かる。
なかば滑り落ちるような形で斜面を降りた。
細い沢に沿って、射手のメンバーが一列になって降りてきている。
その真ん中に、鹿がいた。
首と後ろ足に縄を掛けられている。
角のない雌鹿だ。
脇腹に穴がいくつか開いている。
「散弾ですか?」
「ああ。六発弾や」
「俺やったら、外してたかも知れんな」リーダーが言うと、K田氏は照れた様子を見せる。
「そんな」
「当たってても逃げるしな。まともに当たってるやろ」
「六発撃った」
「六発? 聞こえなかった」
「まだ暖かい」ダイスケ氏が言って、素手で触れた。
僕も手袋を脱いで素手で触れてみた。
「僕ら、肉が暖かいというイメージが無いじゃないですか」
たしかにスーパーで売られている肉はほとんど冷蔵されている。
「素手で触らない方がいいですよ」横からタニ氏が口を挟んだ。彼は射手と一緒に山を上がっていたのだ。「ほら」
よく見れば死んだ鹿の脇腹から次々にダニが這い出てくる。十匹、二十匹。体全体ではもっとたくさんいるだろう。
「体温が下がって死んだことが分かると、新しい宿主探してはい出てくるんですよ」タニ氏が説明する。
「ダニも必死なわけだ」
「そしたら君らこれを引っ張って」
「担ぐんですか?」
「いや、いつもこうやって引いていく」
とても重たい。特に沢沿いの道は石ころばかりなので、摩擦が大きい。
僕らがもたもたしているとK田氏がやってきて、紐を手に取った。
「水平に引かんと」
舗装された道路に出る場所で、残りのメンバーと合流した。
鹿を引いてきた僕らに少し引き気味だ。
ニシ氏やT村さんにも引っ張ってもらった。重たい、と呻く。
そのまま水の流れている所まで持って行く。道路脇の側溝のような小川だ。
まずはバーナーで皮を焼く。ダニがつかないようにするためだ。
そして溝の中に転がす。流水で洗う。ナイフで切って、内臓を取る。
溝まで降りて、触れさせてもらった。
肺はまるでお菓子のムースのよう。心臓には弾力がある。肝臓、腎臓にも触れてみた。
心臓は二つに切り分けた上で血抜きする。これがあとでおいしく食べる上で重要。
「これ、使い」内臓から手を離した僕らが渡されたのは、ヨモギ。水に濡らして指にこすりつけると、におい消しになる。
「沢ガニだ」
見れば足下に大量に這い出てきていた。
「内臓はご馳走だから」
マツムラ嬢が沢ガニを何匹か捕まえて袋に入れた。野食のひとつとして食べるつもりだろう。ご馳走の内臓を手に入れようと思って這い出てきて、マツムラ嬢に食べられてしまう。食物連鎖だ。
「これで七、八貫や」タナベさんが言った。
「何キロですか」
「三十キロ」
「内臓取り除いて?」
「ああ。内臓入れても四十キロ無い」
鹿を軽トラの後部に積んだ。さっきまで僕とダイスケ氏が乗っていた場所だ。
道の横に続く山並みを見ながらリーダーが言った。
「こんな所で鹿取れるとは思わんやろ」
「というより、猟していると思わないですよ」
「今日は運が良かった。獲れんことも多いしな」
K田氏は銃撃の腕がいいらしい。普段から練習もしている。一方、リーダーはクレー射撃があまり効果があると思っていない。実際の狩猟とは状況が違う、という考え方のようだ。
猟をする人口は減っている。銃の所持許可を得るための手続きがあまりにも面倒というのも一因らしい。
車は隊列を組んだまま、「社長」と呼ばれている猟メンバーの事務所に到着した。
道に面して畑があり、大きなビニール製の納屋がある。
脚立に鹿をぶら下げた。ここで解体を行う。
猟メンバーが皮の内側にナイフを滑らせる。あれよあれよと言う間に完全に剥がれてしまう。
途中、弾がぽとぽと落ちた。深く撃ち込まれた銃弾が肉の中に残っている。
納屋の中では女の子たちがてきぱきと料理の準備をしている。
鹿が運び込まれた。
板を敷き、肉を切る。塊に切り分けられると、もはや肉屋で売っている肉と何の変わりもない。さっきまで、生きた鹿だったのに。
校長先生は納屋の真ん中にどかりと腰を下ろして、申し訳なさそうに言う。
「わしは鹿児島県人やから。茶碗すら洗われへん」
包丁を握って見事な手さばきを見せていたヒゲ氏がそれに応えて、「わしも鹿児島や」
江口さんとヒゲ氏を中心として肉切りが進められていく。
「男の厨房ですね、ここは」とダイスケ氏。
「こうやって筋に平行に切ったら固いけど、垂直に切ったら柔らかくなる」
アーミーナイフを握ったリーダーが説明してくれる。ナイフの切れ味は素晴らしく、肉の塊がばさりと切り落とされる。
「全部刺身にできるけど、その部分が最高」
校長先生が教えてくれたのは背筋周辺の部分。
「『もみじ』ゆうて、最高の所や。一切れ三百円」
「三切れくらいで五百円かな」ヒゲ氏が訂正する。
納屋の中には山ほどナイフが用意されていた。メーカー製だけでなく、自作と思われるナイフもある。とてもよく研がれている。
缶ビールがまわされ、皆で刺身をいただく。
猟には参加していなかった社長は気前よくワインまで出してくれる。鹿とワインというのはなかなか良い組み合わせだと思った。
心臓ともみじ、とてもうまい。
だがそれ以上に、レバーがたまらなくうまかった。ごま油と岩塩という味付けもいい。もともと僕がごま油の味付けが好きというのもあるが、それをおいても美味だと思う。
「葱がいるなぁ」と誰かが呟くと、江口さんがおもむろに袋から葱を取り出して切り始めた。
「この葱は自宅の玄関で取れたやつ」
とてもおいしい。
「レバーがうまいのはすぐに血抜きしたから。よく揉んでたやろ」江口さんが説明してくれる。
「こうやっておいしく食べたら、鹿も成仏できる」と誰かが言った。
成仏って何なのだろう。何であるにせよ、そういう概念を考え出した人間は優しい生き物ということなのだろう。
焼き肉が始まった。炭を入れたドラム缶の上に網を敷き、切った肉を次々に乗せていく。淡泊というのもあって、いくらでも食べられる気がする。山ほどあった鹿肉はあっという間に残り少なくなっていく。
「すじはおでんに入れる。いいダシ出るで」ということで、ほとんどの部分が利用できる。どうしても食べられない箇所は犬にやる。すべて使い切ろうという心がけは、食べられる物を無駄にできないという自然な感情に根ざしているのだろうか。スーパーで買う肉、使われない部分がどうなっているかは誰にも見えない。
すっかり暗くなった頃、江口さんと須磨但馬氏の車で駅まで送ってもらった。
おみやげに鹿肉の様々な部位と、「全猟」という狩猟に関する全国組織の雑誌をもらった。江口さんはその雑誌によく寄稿されている。猟にまつわる四季の移ろい、山の情緒がよく伝わってくる文章。猟の雰囲気は季節によって違うようである。
また行ってみたいと思った。
Posted by taro at 2007年09月21日 08:13
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