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« おいしい檳榔(ビンロウ) | トップページ | 火鍋を囲んで会話 » 2006年03月21日中国で見聞きしたことNICT(情報通信研究機構)とMSRA(Microsft Research Asia)の合同フォーラムというイベントで、六日間ほど北京に滞在した。 フォーラムではいろんな人が講演したが(僕も発表したが)、 リンク先のウェブページの画像や文章を読み取り、動画の広告を自動生成するという話。 イントラネット上から大量の定義文を集めてきて、 すぐにでも商品になりそうな研究である。 三日間のフォーラムの翌日、MSRAを訪問した。 デモをいろいろ見せてもらった。 常時百人以上の学生インターンを雇い、 その後、近くの中華料理店で昼食。 Wei-Ying Maさんは台湾出身とのこと。 だがその一方で、中国国内では一般の人々の移動が自由ではないという話を聞かされる。 日本では当たり前の自由が無い。 北京のような大都市の無秩序な発展を防ぐためには有効な手段なのかも知れないが。 さらに、北京の大気汚染を防ぐために工場をすべて市外に移動させたりといったことも行われているらしい。
清朝の最後の年に作られたらしく、門にはしっかり「辛亥」と書かれている。 コンピュータサイエンスの建物は新築で、 学内に中国式の庭園があり、結構綺麗だったりする。 清の時代に建てられた建物の前に、 「中華民国何々年卒業……」 と書かれた卒業生による碑が置かれている。 その横にはためくのは紅い旗。 歴史が多層的である。
当初は予定に入っていなかったのだが、 同行していた留学生のH君いわく、 「中国人民大学に情報系の学部があるってのは知らなかった。ここは政治経済系が有名な大学ですよ」 実際、学内のあちこちにソ連の国旗が掲げられているのを不思議に思っていたら、 ここで教授をしているShan Wang先生は中国データベース学会の会長だとかで、 研究室紹介のあと、夕食をご馳走になった。 学内に教員専用の高級めのレストランがあるのである。 人民大の先生方と別れた後、 紅衛兵にもいろいろ派閥があって、 文化大革命は1966年から1976年まで続いた改革運動である。 その間、他の世代の人々は何をしていたかというと、 中国の大衆運動、恐るべしである。 今後、貧富の差がさらに拡大していく中で、そういった運動がまた起こらないとも限らない。 ちなみに北京にいる間ずっと、Wikipediaに繋ぐことができなかった。 研究室のK村くんはさらにうわてで、ホテルの部屋で「これはダメかな?」とか言いながら、 Posted by taro at 2006年03月21日 11:37 |






