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2005年11月18日

四国でお遍路さんを接待する。(土佐東寺庵訪問記) 後半

 一時間ほど経った頃、突然、龍馬くんが立ち上がった。

「お遍路さん、探しに行こか」
「どうやって?」
「車で国道沿いを走って、歩いているお遍路さん見かけたら、土佐東寺庵を紹介して、あとで寄ってくれと誘う」

 驚いた。宣伝活動までしているのか。

「お遍路さんって、そんな簡単に見つかるものなの」
「道が一本やからね。必ず国道を歩いてくるよ」

 なるほど。それももっともである。
 龍馬くんを乗せて、海沿いの道を走った。
 左手に海、右手に山。
 このあたりの行政区域は大方町という。鯨が見える街、というのが売り文句らしい。そのフレーズが書かれた看板をいくつか見た。しかし龍馬くんに言わせると、

「あちこちに宣伝してるけど、地元の人でも生まれてから一度も鯨を見たことが無いとか言っとったな」

 やがて国道は両側から山に挟まれ、うねうねとカーブを描き始める。
 窪川から上川口までは列車で四十分かかったので、車でもそれくらいの時間がかかるだろう。

「さっきのお兄さん、この道を歩いてきたわけね」
「そういうことやね」
「すごいよな、前回は二週間も歩き続けたって言ってたけど」
「単位揃ったけど五回生って」
「自由に使える時間が欲しいんでしょ。それか、気に入った企業の内定が取れなくて留年したとか……」

 歩き遍路するほどの根性があったら、留年なんてするなよ、とか思う。生き方は人それぞれだが。

「八十八ヶ所歩いてまわったといったら、就職に有利かもね」

 実際、それだけの根性があれば、どんな会社でも適応できそうだ。 
 今朝来ていた胡麻塩さんというおじさんの頑固そうな顔を思い浮かべながら、僕は訊いた。

「胡麻塩さんって、よく来る人なの」
「そうやね。お遍路さんやけど、まぁ、半分スタッフみたいな感じやな」
「どういう経緯で土佐東寺庵を知ったわけ」
「あの人はもともと料理人でね。いわゆる流れ板。だけどいろいろ事情があって、仕事を続けられなくなって。四国まで流れて来て、何年間かお遍路道をまわってたらしいのだけど、先生と出会って、土佐東寺庵に滞在するようになった。今では一ヶ月のうち半分を土佐東寺庵で過ごしてるね」
「一ヶ月ごとに旅に出るの?」
「あんまり土佐東寺庵にいすぎると甘えてまうから、先生が数千円渡して、『おい、旅に行ってこい』とか言って、追い出すわけ。そんで世間の辛さを感じて戻ってくる」

 結局、お遍路さんはひとりも見つからないまま、窪川まで着いてしまった。
 それほど期待していなかったものの、少々残念である。

「岩本寺に寄っていく?」と龍馬くんが提案した。八十八ヶ所の三十七番札所、すなわちお遍路さんが土佐東寺庵に来る前に必ず立ち寄るお寺である。運が良ければお遍路さんが来ているかも知れない。

 小さな市街地を抜けて、細い路地に入る。「ここやで」と龍馬くんが指さした先は、家と家の間に挟まれた小さな山門。境内に入った。予想していたより小さなお寺だった。本堂も敷地もそれほど大きくない。
 八十八ヶ所のひとつというからには、京都にあるような大きな観光寺院を想像していたのだが、そうでもないようだ。

 外見はどこにでもありそうなお寺である。わざわざバスでまわるほどのこともないと思う。やはり、その価値を形作るのは信仰心ということになるのだろう。さらにいえば、歩いてまわらなければあまり意味がないのではないかと僕は思う。しかし逆に、こんな小さなお寺を訪ねるために四日間も歩き続ける精神もすごいと思う。
 寺務所では初老の夫婦らしき白装束の二人連れが朱印帳にハンコを押してもらっていた。だが、龍馬くんは声をかけようとしない。僕らはそのまま本堂に入った。

 天井が独特だった。
 いろんな人が描いた三十センチメートル四方の絵によって埋め尽くされていた。親しみやすいお寺を目指したのかも知れないが、なぜかマリリン・モンローの絵などもあったりして、変な感じだ。
 手を合わせ、旅の安全を祈った。
 賽銭箱の手前に、巨大な貯金箱のような金属製の箱が置かれていた。お遍路さんがここにお札を入れていくのだ。

 本堂を出て、軒先をぐるりとまわった。
 龍馬くんがぽつりと言う。

「昔は八十八ヶ所に入っとったのに、他のところに取られてしまった寺とかもあるらしい」
「なんで?」
「権力闘争ちがう。明治とかの話らしいけど」

 境内を出て、門前の和菓子屋で鮎の形をした焼き菓子を買った。
 その向かいに、『お遍路さんの駅 休憩所』という看板が掲げられていたため、立ち寄った。
 休憩所を兼ねたおみやげ屋である。手前が休憩ゾーン。
 カウンターではおばちゃんがぼんやり頬杖をつき、客待ちしていた。
 セルフサービスで冷茶を注ぎ、休憩させてもらう。

「境内にお遍路さんみたいな人がいたけど、声かけとけば良かったかな」と僕。
「あれは車でまわってる人や」
「どうして分かるの」
「たくさん見てたら分かるようになる」龍馬くんは断言した。

 たしかに言われてみると、夫婦で延々と歩くというのは、二人の体力も違うだろうし、理解のある旦那でなければ難しいと思う。

「ここ、お客さんはよく来られるんですか?」龍馬くんがカウンター越しに、おばちゃんに尋ねた。
「今はそれほどでもないね。九月になるとバスが結構来るけど。あんま商売にはならへんね。お遍路さんの憩いの場として使ってもらってる」

 二階にはギャラリーがあり、個展などにも使われているそうだ。

 国道を走って、土佐東寺庵まで戻った。
 車で走れば、それほどの距離とは思えない。
 しかし、歩くと丸一日かかるのだ。

「すごいよな。車で一時間の道を一日で歩くって」
「んー、何なんやろうね」

 僕にも龍馬くんにも理解できないモチベーションがお遍路さんたちを歩かせているのだと思う。ランナーズハイならぬ、ウォーカーズハイのようなものがあるのだろうか。

 接待所には新しいお客さんが来ていた。五十代後半か六十代くらいの、小柄だががっちりとした体格の男性。白装束姿である。

「お邪魔してます。どうも」

 はきはきとした喋り方は関東の人っぽい。
 胡麻塩さんと親しげに話し込んでいる。
 遍路道を歩いた者同士、話が合うようだ。
 お遍路道で蜂の大群に襲われた話とか、冬場の野宿は辛いという話とか。

「今日は歩いている人、少ないねぇ」と白装束氏がつぶやく。
「ここ二~三日、すごく少ない」と胡麻塩さん。
「さっき、自転車に乗ったのが通り過ぎていったよ」

 自転車に乗ったお遍路さんもいるらしい。白装束で、颯爽と自転車に乗ってまわっていくのだそうだ。イメージと違いすぎる。

「結構多いよ、自転車でまわっている人」と龍馬くん。
「割合的には?」
「半分くらい」
「つまり、歩き遍路と同じくらいいるということ」
「そう」

 バスで回るよりは良いのかも知れないが、何だか変な感じだ。
 白装束のおじさんの名前は、放浪さんという。

「この前サカウチしているのと出会ったよ」と放浪さん。
「サカウチの人間はすれてるのが多いでしょう?」胡麻塩さんが応じる。

 四国八十八ヶ所の札所(お寺)にはすべて番号が振られているが、それを逆回りにまわることを、サカウチと呼ぶらしい。

「どういう字を書くんですか」
「逆に、打つ、と書く。昔は札所に着くたび、自分の名前を書いた札をお寺に釘で打ち付けていたんだよ。それを逆の順序で行うから、逆打ち」
「なるほど。それじゃ、どんな人が逆打ちするんですか」
「何回もまわって、いい加減、飽きてきた人とか。あと、閏年の時に逆打ちをすると大師様に会えるという伝承があって、閏年には逆打ちする人が多いね」胡麻塩さんが説明してくれる。八十八ヶ所巡りにもいろいろテクニックがあるようである。

「放浪さんは、もうどれくらいお遍路さんをされているんですか」
「すでに七回まわりました」
「七回!」
「ええ。この前ここに来たのは、ちょうど四十日前だ」手元の手帳を覗き込みながら、胡麻塩さんに言う。「ちょうど四十日前に会ったんだよ」

 放浪さんがノートを見ながら言う。細かい字で日記のようなものがびっしりと書き込まれている。黒い字が移動経路、赤い字が接待の内容を表しているようだ。几帳面な性格のようだ。

「書かないと忘れてしまうんでね」と頭を掻く。
「それに、貴重な情報になる。どこで野宿できるかとか分かるから」胡麻塩さんが補足した。

 胡麻塩さんと放浪さんは、愛媛の伊予土居という場所で初めて出会ったという。初対面なのに妙に意気投合し、しばらく行動を共にした。その後、二回目に出会ったのが土佐東寺庵。胡麻塩さんがすでにスタッフとして長期滞在している時、放浪さんが通りがかったのだ。そしてこれが三回目。胡麻塩さんが四国の内陸をうろついている間に、放浪さんはぐるりともう一周してきたのだ。

「放浪さんのご出身はどちらですか。喋り方は関東の人みたいですけど」
「ええ。生まれは和歌山なんだが、千葉で育ってねェ」

 粋のいい江戸っ子風の喋り方は、落語の登場人物みたいである。

「どうしてお遍路さんをしようと?」
「いや、それがね、初めは八十八ヶ所まわるつもりなんて、無かったんですよ」芝居がかった口調で言う。「ただ、仕事ももう無いし、何もしないでいると体が鈍ってしまうからね。少し歩こうと思って、しまなみ街道を渡って四国まで来たんですよ。普通に歩いてまわろうと思っていたんですが、あるお寺をお参りしたら、番号が書いてある。ああ、これが八十八ヶ所かって思ってね。それで、まわってみようかと思ったんです」

 なんとも唐突な思いつき。冗談なのかも知れないが。

「それで七回も?」
「ええ。まわっているうちに、はまってしまって」
「どういう風にですか」
「もう一回、まわってみようかなって」

 あっさりと言う。
 理解できない感覚だが、実際にまわってみると、そういう気分になるものなのだろうか。

「僕にはもともと放浪癖があってねぇ。ひとつの飯場に五年か六年いたこともあったけど……」

 飯場というのは、土方などの職業の人たちが利用する長期宿泊施設のことだろう。体を使う仕事をずっとしてきたわけだ。

「お遍路さんをされて、何か変わったこととか、ありますか」
「ああ、なんか次第に変わっていくのを感じるね。昔は己ってぇものがあってね、人に頭下げるのがいやだったけど。今は自然に頭が下がるね。何してもらっても」

 放浪さんはしみじみとした口調で言った。

 昔は結構、気の強い人だったのかもしれないと、ふと思った。

「そろそろ昼飯食いに行こか」と龍馬くんが持ちかけた。

 すると放浪さん、おもむろに姿勢を正して、「それなら駅まで送ってくれませんかね」と頼んできた。「こういう生活しているとね、あそこまで行くのに三百円はきつい、三百円あれば一日分の食糧になる、なんて思ってしまうんですよ」

 そんなこと言われなくても、頼まれたら乗せていくのは当然だ。

 放浪さんと龍馬くんを乗せて、国道を走る。朝とは逆の方向、西に向かう。こちらも当然、海沿いの道である。

 道すがら、放浪さんからくわしい話を聞いた。

「飯場におられたって仰ってましたけど。仕事は建設関係ですか?」
「ええ。僕は多能工といってね。何でもしましたよ。大工やら左官やら。最後の二年間は鳶をしていましたけどね。でも、こう見えても大学出てるんですよ。今じゃ考えられないくらいいい大学をね」
「ほう」
「寄付で入れる高校ってのがあったんですわ。カトリック系の学校でね」
「ええ」
「その上にあったのが、上智大学だったんですよ」
「へーぇ」
「昔は簡単に入れたんですよ」放浪さんは謙遜する。
「それで、大学を出てすぐに建設の仕事に?」
「いや、いろいろありましてね」そのあたりはあまりくわしく語ってくれない。
「波瀾万丈の人生ですか」
「そういうところかな。家を飛び出して、北海道を放浪したりしてね」根強い放浪癖があるようだ。「あの頃は宿代を三日分くらい持って、田舎のハローワークに行ったりしたら、すごい歓迎を受けたもんですよ。若い人間がいないもんだから、仕事がいくらでもあった。就職のための保証人がなければ、ハローワークの課長がなってくれたりしてね」懐かしむように言う。

 あちこち放浪しながら、仕事を続けてきたようである。

「ほんの数年前までは、毎晩のように飲みに行って、五万から六万使って。外人専門の店でね。しまいには迎えまで来るようになっちゃって。だけど最近の会社はね、冷たいですよ。六十才の誕生日になった途端、肩を叩かれて、降りて来いって言われるの。鳶の仕事はやらせてもらえないわけ。そしたら給料も安くなってしまうし。それがほんの一年前の話ですよ」

 それで思い立って、仕事を辞めて、四国までやってきたのだと言う。

「実際に歩いてお遍路さんされている方って、今現在、どれくらいいるんでしょうか」

 放浪さんは少し考えて、

「本当にまわっているのは、七~八人かな。あとは偽遍路。土地の言葉で『ヘンド』って言ってね」
「ヘンド?」
「うん。ヘンド」
「どういう字を書くんですか」
「知らない」放浪さんは首をすくめた。
「それって、本物のお遍路さんとどう違うんです?」
「ヘンドはお寺をまわったりしないですな。街と街の間を電車でぴゅうって移動してね。人からもらった金で仲間と宴会したりしている……。あ、そろそろかな」

 線路の下をくぐった。

「今夜はあの駅で野宿するんです。だけどその前にスーパーで買い物したいんで、もう少し行ってもらえます?」

 僕は車をさらに走らせる。
 中村の商業地区らしき地域に入った。
 広い駐車場を抱えたファミレスや焼き肉屋などが並んでいる。

「胡麻塩さんとはこれまでにも何度か会ってね。余ってるお茶碗を渡してくれて。これで托鉢しろって言うんだけどね。僕は絶対に托鉢しない。貯金でね、まわってるんです。年金に入ってなかったから、たいした額じゃないんですけどね……。あ、そのスーパーです」

 国道沿いの大きなスーパーの駐車場に車を停めた。

「このスーパーはパンが安いんです」放浪さんは嬉しそうに言う。

 七回まわったというからには、ここも何度も立ち寄っているのだろう。
 スーパーの入り口前で放浪さんは降り、頭を下げて、白装束のままスーパーに入っていった。

 もっといろいろ話を聞きたかったが、旅人を引き留め続けるわけにもいかない。

 車をUターンさせ、元来た道を戻る。

 僕はさきほど放浪さんが言っていた言葉が気になって、龍馬くんに訊いた。

「ヘンドって、どんな人たちのことなの」
「定義は難しいな。人それぞれに基準があらはんねん。二晩同じところに泊まったらヘンドだって言う人もいるし」
「なるほど、たしかに。酒を飲んだらヘンドだって言うなら、おいしいもん食うのはどうなんだ、ってなるしねぇ」
「そうそう」
「難しいもんだね。放浪さんは托鉢を絶対しないって言ってたけど。あれは一種のプライドなのかな」
「どうなんやろ。違うんちゃうか。いろんな人間見てるから、いやになったんちゃう?」

 大型店舗の並ぶ中村市内の大通りを走る。
 どの店の駐車場も大きい。
 百円ショップのダイソーがあった。

「でかいな」
「ここは田舎だし、何もかもでかい。土佐東寺庵の大師堂の仏具は全部ダイソーで揃えたんやで」
「すごいな」
「仏具に金をかけてないのが、先生の自慢や。ダイソー寺って名付けてもいいくらいやで」
「それ、いい響きだね」
 
 レストランに向かう途中でも、お遍路さんの姿は見当たらなかった。
 灰色の国道が空と海と山に挟まれて、延々と続いていくだけ。
 荒々しい岩場が続いている。波が打ち寄せては引き、黒い岩肌を洗う。
 龍馬くんが窓の外を眺めながら言った。

「昔の土佐だとね、あのあたりに掘っ立て小屋を建ててね。ハンセン病の患者を住ませていたわけよ。毎日食事だけ運んでいって。嵐が来たら、流されておしまい、っていう扱われ方でね。つい最近までそんな感じだったわけよ」

 こういう話を龍馬くんはまるで見てきたかのように語る。
 あとで知ったことだが、ヘンドと呼ばれて蔑まれていた人の中には、ハンセン病の患者などもいたらしい。

 海沿いのレストランでは地元の政治団体の集まりが開かれていた様子で、僕らと入れ違いで選挙カーが政治家の名前を連呼しながら出て行った。

 芝生に囲まれたテラスのある、お洒落なお店だった。働いている女の子たちは皆かわいい。高知は美人が多い気がする。肌は白いが目鼻立ちがくっきりしていて、印象的な人が多い。太平洋を渡ってきた様々な人種の血が混じっているせいではないかと想像してみる。

 土佐東寺庵が作られた経緯について、龍馬くんからくわしく聞かせてもらった。
 現在の建物はもともと、地元のKさんという人の所有だったらしい。国道沿いの立地ということで、売店を経営する人に貸したりしていたそうだが、あまりうまくいっていなかったそうだ。

「雨が降ると車の水がはねるでしょう? だから店先に商品とか並べられなくて。商売にならんわけよ。それでテナントが何度も変わって。そこに先生が目をつけて、まるごと買ってしまったというわけやね」
「いくらで?」
「土地と建物を合わせて、七百万か八百万やったかな」

 よくそれだけの金額をポンと出す気になったものだ。

「歩き遍路が必ず通る、絶好のロケーションやからね」

 龍馬くんは土佐東寺庵の場所設定に絶大な自信を持っているようだ。これ以上の場所は無いというような言い方である。

「それで、土佐東寺庵の当面の目標は?」
「先生がね、昔の遍路道を探したいって言っていてね。地元の老人たちから聞き取りをしているわけよ」

 国道ができる前にお遍路さんたちが使っていた道のことであろう。

「記憶を頼りに教えてもらうんやけどね。『あそこの山にお遍路さんが入って行って、死んだ』とか。そんな気の滅入る話をいっぱい聞かされてね」

 蜷川さんはかなりご執心らしいが、あまり成果は見込めないのではないかというのが龍馬くんの意見だった。

 のんびりとした昼食を終えて、土佐東寺庵に戻る。
 ドライブの途中、龍馬くんがぽつりと言った。

「先生は、もう京都の東寺庵はどうなってもいいと思ってるみたいやねぇ」
「どうして?」
「バッパの質が落ちたって言ってる」
「バッパ?」
「バックパッカー。昔は何か思うところがあって貧乏旅行しているバッパが多かったけど、今は単に安上がりの観光旅行でしょ。数が増えて、質が落ちたらしい。ゲストハウスも単なる安宿と思われている。それで東寺庵に泊まりに来た連中と話をしていても、面白くないらしい。だから先生は今、土佐東寺庵の方に力入れてはるわけや」
「なるほど。そういう理由なのか」
「お遍路さんにはいろんな人がいるからね。悩み抱えている人とか多いし」
「蜷川さん、そういう人と話すのが好きそうだもんな」
「先生は病的なところを抱えた女の人が好きやしね。普通の女の子には興味あらへんね」
「すごい精神構造をしているよな」僕は首をすくめたものの、病んでいる女性に魅かれるという気持ちは分からないでもない。
「東寺庵のスタッフの子とか、芸術系の学校の子ばっかりやん」
「そういえばそうだね」
「先生が興味を持つのは、病的な人と、芸術系の人オンリーやね」

 奇人である。だが、そのおかげで僕らはずいぶん楽しませてもらっている。

「まぁ、でも蜷川さんは普通の金持ちより良いお金の使い方しているようにも思うよ。贅沢をするでもなく、女に熱を上げるでもなく。未来の芸術家たちに投資しているわけだから……」

 土佐東寺庵に着いて、スタッフ部屋にて暑い午後をまったりと過ごす。
 お遍路さんは来ない。
 朝から降り続いていた雨も止み、日が姿を見せた。いったん晴れてしまえば、日差しは非常に強い。湿った道路もすぐに乾くのではないかと思われるほどだ。
 あいかわらず建物の前を大型トラックがせわしなく走りすぎていく。その一方で、建物の中では漫然とした時間が流れていく。

 京都の東寺庵もまったりとした場所だが、ここはそれ以上かも知れない。

 あまり何も起こらないので、帆保江ちゃんを連れて近くの砂浜までドライブした。
 二キロも走れば、海岸線が岩場から砂浜に変わる。駐車場があり、町営の公共施設や売店がぽつりぽつりと並んでいる。
 駐車料金は無料だ。好きなところに停めればいい。
 土手を越えると、長い長い砂浜が続いていた。
 傾いた太陽が薄い雲の向こうから細い光を注いでいた。
 西も東も視界の続く限り砂浜が続いていて、圧巻だ。
 遊泳客の姿はほとんどない。
 三人連れのサーファーが閑散とした浅瀬で波と戯れている。
 波が打ち寄せるたび、強い風に吹き上げられた飛沫がまるで霞のようにたなびいて、幻想的な光景を作り出していた。

 土佐東寺庵に戻った時には、五時をまわっていた。
 北国さんと龍馬くんがあいかわらず部屋でまったりしていた。
 龍馬くんが体を起こして、帆保江ちゃんに頼んだ。

「そしたら、ごはん頼むわ」
「はい」

 帆保江ちゃんが主婦のように台所に立ち、男共はこたつを囲んで雑談。
 こんなまったりな生活を続けていたら、抜け出せなくなりそうだった。
 龍馬くんと北国さんが出かけて、アジの刺身を買ってきた。

 午後六時。夕闇の迫る接待所では胡麻塩さんがひとりで文庫本を読みふけっている。

 壁には東寺のポスターがたくさん貼られているが、これは本来、京都の東寺がお遍路さんの参拝を促すために作ったものだ。これだけ見ると、まるでここは東寺の出先機関のようだが、実際には東寺とは何の関係もない。この紛らわしいポスターのせいで、土佐東寺庵で接待を受けたお遍路さんが、京都の東寺に「あの時はお世話になりました」とか、礼を言いに行ってしまったこともあったらしい。

 僕が壁に貼られた四国の地図を眺めていると、胡麻塩さんが話しかけてきた。

「その地図見てたら、まわってみたくなるでしょう」
「うーん、どうでしょう。ちょっとだけ、かな」
「一周したら1,400キロ」
「やめときます」

 1,400キロといったら、東京・大阪間を往復できる距離であろう。相当な悩みでもなければ、僕はそんな距離を歩くことを決断できなさそうだ。

「放浪さんは四十日でまわったって言ってたけど。すごいなぁ」尊敬とも羨望ともつかない口調で胡麻塩さんが言う。ひそかなライバル心を抱いていたりするのだろうか。

「車のご接待を受けたりしたんじゃないですか」
「それもあるかも知れない」

 ふたりで話しているところへ、帆保江ちゃんが胡麻塩さん用のご飯とみそ汁を運んできた。

「どうぞ。私が作ったんで、おいしくないかも知れないですけど」
「そんな。わざわざ持って来てくれなくても……」

 胡麻塩さんは頭を下げてお盆を受け取る。
 北国さんが後ろから入ってきて、
「今日は造りですよ」と言って、アジの刺身を差し出した。
「いただきます」胡麻塩さんは手を合わせる。
「どうぞごゆっくり」

 僕らはスタッフ用の建物で食事する。スタッフの生活場所とお遍路さんの生活場所を明確に分けるのが、ここの方針である。胡麻塩さんはほとんどスタッフ並みの手伝いをしてくれるが、お遍路さんということで、食事はいつも接待所で済ませているようだ。
 スタッフの四人で大皿をつついた。アジの刺身とソーセージの卵とじ。ご飯とみそ汁。家庭的な食事だ。
 昨晩もそうだったが、刺身・ご飯・みそ汁に一品、という組み合わせが多いようである。これならそれほど手間はかからない。漁港が近いためか、刺身はうまい。
 特に、今夜のアジの刺身は絶品だった。

 北国さんから東北の魚の話を教えてもらった。
 東北の太平洋側は寒流が流れ込むのでヒラメがいない。一方、対馬海流のため日本海側では函館までヒラメが取れる。
 宮城の気仙沼のあたりではイワシの大群に追いつめられたオキアミの群れが浜辺に打ち上げる。近所のおばちゃんたちがそれを拾って養殖業者に売って、小遣い稼ぎにしているそうだ。

 台所から龍馬くんがポリ容器を持って戻ってきた。

「これは桃本さんからもらったやつやけど」

 土佐東寺庵のスタッフである桃本さんという人が自分で炊いたジャコ山椒。京都の名物らしい。桃本さんは昔から京都で暮らしている人である。ジャコ山椒は京都みやげとして有名なのは知っていたが、家庭でも食べられているとは知らなかった。

 一日、ほとんど何もしていないのに、なぜか食が進む。

「ここにいると、魚を食べることが多いのかな」
「そーやね。だけど、地元の人が野菜持ってきてくれてね。こっちが接待されることもある」

 接待されるというのはつまり、寄付されるという意味であろう。

 夕食後、明日のための買い出しに出かけることになり、購入する必要のある商品のリストを作った。ペンキ塗りに使う工具がいろいろ必要だったが、すべてダイソーで手に入るという話。田舎の100円ショップはすごい。

「何でも置いてあるよ。ポルノコーナーとかもあるしね」と龍馬くん。
「ポルノ?」
「アダルトDVD。それからお経も揃ってる。曹洞宗とか臨済宗とか。全部あるで」

 清濁併せ呑み、インドのバザールみたいである。
 とりあえず、ダイソーとスーパーがあれば生活できるのだ。

 スタッフ一同がぞろぞろ出かける時にも、胡麻塩さんは接待所で文庫本を読みふけっていた。
 北国さんが運転する車で中村に向かった。
 雨上がりの海沿いの夜道。ドライブは心地よい。
 午後八時、すでに暗闇に包まれている土佐東寺庵周辺と比べると、何軒もの店が営業している中村は大都会だった。

 買い物を済ませ、その後、スーパー銭湯で入浴した。
 土佐東寺庵の風呂は小さいため、スーパー銭湯に行くのは日課なのだそうだ。
 さすがに土地が有り余っているだけあって、浴槽は巨大であった。

 帰ってきたら、また酒を囲んで雑談になった。
 それでも零時前には就寝した。
 朝は早いのだ。一日過ごしているうちに車の音に慣れてしまったのか、すぐに眠ることができた。

 翌朝は七時頃に龍馬くんに起こされた。
 ずいぶんぐっすり眠っていたようで、すでに朝食の時間だった。
 ご飯にみそ汁、納豆。前日の朝と同じである。
 
 接待所に戻ると、いつのまにか胡麻塩さんが大師堂の掃除を始めていた。
 空はよく晴れている。
 国道を渡り、コンクリート護岸の上に立った。
 定規で引いたようなまっすぐな水平線。
 ようやく、自分が太平洋の見える浜辺に来ていることを実感した。
 土佐東寺庵、蜷川さんが言っていたように砂浜にぽつんと、というわけには行かないが、なかなか良いロケーションに建っているではないか。

 胡麻塩さんは掃除を終えて、また文庫本を読み始めた。その横に腰掛けて、僕は尋ねる。

「まだしばらく、こちらにおられるんですか」

 胡麻塩さんは本を閉じ、顔をあげた。

「ええ。蜷川さんに旅に出てこいと言われるまで、ここにいますよ」

 冗談とも本気ともつかぬ顔で、歯を見せて笑った。
 九時頃、北国さんと帆保江ちゃんに上川口の駅まで送ってもらった。

 国道から駅前に続く細い道に入ると、両側に田んぼが広がっている。

 上川口の無人駅はのどかな田園風景の中にぽつんと佇んでいた。
 一両編成のローカル列車に乗り込むと、地元のおばあちゃんがぼんやりと車窓の風景を眺めていた。
 列車はゆっくりと動き出した。

Posted by taro at 2005年11月18日 23:58

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コメント

はじめまして

十年程前に一度、通しで歩き遍路をさせてもらったものです。
今回時間が空きそうなので10月にもう一度遍路にでようと
考えていたときに、このサイトを見つけました。

"土佐東寺庵”是非行ってみたいと思います。

Posted by: Shuji at 2007年09月17日 10:55

土佐東寺庵、想像されているものより小さいかも知れませんが、ぜひ立ち寄っていただければと思います。
すでに通しで歩き遍路をされた方に立ち寄っていただけたら、スタッフ一同、大変喜ぶと思います。

Posted by: taro at 2007年09月18日 00:52

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