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« Confmanの書き換え | トップページ | 四国でお遍路さんを接待する。(土佐東寺庵訪問記) 前半 » 2005年11月18日四国でお遍路さんを接待する。(土佐東寺庵訪問記) 後半一時間ほど経った頃、突然、龍馬くんが立ち上がった。 「お遍路さん、探しに行こか」 驚いた。宣伝活動までしているのか。 「お遍路さんって、そんな簡単に見つかるものなの」 なるほど。それももっともである。 「あちこちに宣伝してるけど、地元の人でも生まれてから一度も鯨を見たことが無いとか言っとったな」 やがて国道は両側から山に挟まれ、うねうねとカーブを描き始める。 「さっきのお兄さん、この道を歩いてきたわけね」 歩き遍路するほどの根性があったら、留年なんてするなよ、とか思う。生き方は人それぞれだが。 「八十八ヶ所歩いてまわったといったら、就職に有利かもね」 実際、それだけの根性があれば、どんな会社でも適応できそうだ。 「胡麻塩さんって、よく来る人なの」 結局、お遍路さんはひとりも見つからないまま、窪川まで着いてしまった。 「岩本寺に寄っていく?」と龍馬くんが提案した。八十八ヶ所の三十七番札所、すなわちお遍路さんが土佐東寺庵に来る前に必ず立ち寄るお寺である。運が良ければお遍路さんが来ているかも知れない。 小さな市街地を抜けて、細い路地に入る。「ここやで」と龍馬くんが指さした先は、家と家の間に挟まれた小さな山門。境内に入った。予想していたより小さなお寺だった。本堂も敷地もそれほど大きくない。 外見はどこにでもありそうなお寺である。わざわざバスでまわるほどのこともないと思う。やはり、その価値を形作るのは信仰心ということになるのだろう。さらにいえば、歩いてまわらなければあまり意味がないのではないかと僕は思う。しかし逆に、こんな小さなお寺を訪ねるために四日間も歩き続ける精神もすごいと思う。 天井が独特だった。 本堂を出て、軒先をぐるりとまわった。 「昔は八十八ヶ所に入っとったのに、他のところに取られてしまった寺とかもあるらしい」 境内を出て、門前の和菓子屋で鮎の形をした焼き菓子を買った。 「境内にお遍路さんみたいな人がいたけど、声かけとけば良かったかな」と僕。 たしかに言われてみると、夫婦で延々と歩くというのは、二人の体力も違うだろうし、理解のある旦那でなければ難しいと思う。 「ここ、お客さんはよく来られるんですか?」龍馬くんがカウンター越しに、おばちゃんに尋ねた。 二階にはギャラリーがあり、個展などにも使われているそうだ。 国道を走って、土佐東寺庵まで戻った。 「すごいよな。車で一時間の道を一日で歩くって」 僕にも龍馬くんにも理解できないモチベーションがお遍路さんたちを歩かせているのだと思う。ランナーズハイならぬ、ウォーカーズハイのようなものがあるのだろうか。 接待所には新しいお客さんが来ていた。五十代後半か六十代くらいの、小柄だががっちりとした体格の男性。白装束姿である。 「お邪魔してます。どうも」 はきはきとした喋り方は関東の人っぽい。 「今日は歩いている人、少ないねぇ」と白装束氏がつぶやく。 自転車に乗ったお遍路さんもいるらしい。白装束で、颯爽と自転車に乗ってまわっていくのだそうだ。イメージと違いすぎる。 「結構多いよ、自転車でまわっている人」と龍馬くん。 バスで回るよりは良いのかも知れないが、何だか変な感じだ。 「この前サカウチしているのと出会ったよ」と放浪さん。 四国八十八ヶ所の札所(お寺)にはすべて番号が振られているが、それを逆回りにまわることを、サカウチと呼ぶらしい。 「どういう字を書くんですか」 「放浪さんは、もうどれくらいお遍路さんをされているんですか」 放浪さんがノートを見ながら言う。細かい字で日記のようなものがびっしりと書き込まれている。黒い字が移動経路、赤い字が接待の内容を表しているようだ。几帳面な性格のようだ。 「書かないと忘れてしまうんでね」と頭を掻く。 胡麻塩さんと放浪さんは、愛媛の伊予土居という場所で初めて出会ったという。初対面なのに妙に意気投合し、しばらく行動を共にした。その後、二回目に出会ったのが土佐東寺庵。胡麻塩さんがすでにスタッフとして長期滞在している時、放浪さんが通りがかったのだ。そしてこれが三回目。胡麻塩さんが四国の内陸をうろついている間に、放浪さんはぐるりともう一周してきたのだ。 「放浪さんのご出身はどちらですか。喋り方は関東の人みたいですけど」 粋のいい江戸っ子風の喋り方は、落語の登場人物みたいである。 「どうしてお遍路さんをしようと?」 なんとも唐突な思いつき。冗談なのかも知れないが。 「それで七回も?」 あっさりと言う。 「僕にはもともと放浪癖があってねぇ。ひとつの飯場に五年か六年いたこともあったけど……」 飯場というのは、土方などの職業の人たちが利用する長期宿泊施設のことだろう。体を使う仕事をずっとしてきたわけだ。 「お遍路さんをされて、何か変わったこととか、ありますか」 放浪さんはしみじみとした口調で言った。 昔は結構、気の強い人だったのかもしれないと、ふと思った。 「そろそろ昼飯食いに行こか」と龍馬くんが持ちかけた。 すると放浪さん、おもむろに姿勢を正して、「それなら駅まで送ってくれませんかね」と頼んできた。「こういう生活しているとね、あそこまで行くのに三百円はきつい、三百円あれば一日分の食糧になる、なんて思ってしまうんですよ」 そんなこと言われなくても、頼まれたら乗せていくのは当然だ。 放浪さんと龍馬くんを乗せて、国道を走る。朝とは逆の方向、西に向かう。こちらも当然、海沿いの道である。 道すがら、放浪さんからくわしい話を聞いた。 「飯場におられたって仰ってましたけど。仕事は建設関係ですか?」 あちこち放浪しながら、仕事を続けてきたようである。 「ほんの数年前までは、毎晩のように飲みに行って、五万から六万使って。外人専門の店でね。しまいには迎えまで来るようになっちゃって。だけど最近の会社はね、冷たいですよ。六十才の誕生日になった途端、肩を叩かれて、降りて来いって言われるの。鳶の仕事はやらせてもらえないわけ。そしたら給料も安くなってしまうし。それがほんの一年前の話ですよ」 それで思い立って、仕事を辞めて、四国までやってきたのだと言う。 「実際に歩いてお遍路さんされている方って、今現在、どれくらいいるんでしょうか」 放浪さんは少し考えて、 「本当にまわっているのは、七~八人かな。あとは偽遍路。土地の言葉で『ヘンド』って言ってね」 線路の下をくぐった。 「今夜はあの駅で野宿するんです。だけどその前にスーパーで買い物したいんで、もう少し行ってもらえます?」 僕は車をさらに走らせる。 「胡麻塩さんとはこれまでにも何度か会ってね。余ってるお茶碗を渡してくれて。これで托鉢しろって言うんだけどね。僕は絶対に托鉢しない。貯金でね、まわってるんです。年金に入ってなかったから、たいした額じゃないんですけどね……。あ、そのスーパーです」 国道沿いの大きなスーパーの駐車場に車を停めた。 「このスーパーはパンが安いんです」放浪さんは嬉しそうに言う。 七回まわったというからには、ここも何度も立ち寄っているのだろう。 もっといろいろ話を聞きたかったが、旅人を引き留め続けるわけにもいかない。 車をUターンさせ、元来た道を戻る。 僕はさきほど放浪さんが言っていた言葉が気になって、龍馬くんに訊いた。 「ヘンドって、どんな人たちのことなの」 大型店舗の並ぶ中村市内の大通りを走る。 「でかいな」 「昔の土佐だとね、あのあたりに掘っ立て小屋を建ててね。ハンセン病の患者を住ませていたわけよ。毎日食事だけ運んでいって。嵐が来たら、流されておしまい、っていう扱われ方でね。つい最近までそんな感じだったわけよ」 こういう話を龍馬くんはまるで見てきたかのように語る。 海沿いのレストランでは地元の政治団体の集まりが開かれていた様子で、僕らと入れ違いで選挙カーが政治家の名前を連呼しながら出て行った。 芝生に囲まれたテラスのある、お洒落なお店だった。働いている女の子たちは皆かわいい。高知は美人が多い気がする。肌は白いが目鼻立ちがくっきりしていて、印象的な人が多い。太平洋を渡ってきた様々な人種の血が混じっているせいではないかと想像してみる。 土佐東寺庵が作られた経緯について、龍馬くんからくわしく聞かせてもらった。 「雨が降ると車の水がはねるでしょう? だから店先に商品とか並べられなくて。商売にならんわけよ。それでテナントが何度も変わって。そこに先生が目をつけて、まるごと買ってしまったというわけやね」 よくそれだけの金額をポンと出す気になったものだ。 「歩き遍路が必ず通る、絶好のロケーションやからね」 龍馬くんは土佐東寺庵の場所設定に絶大な自信を持っているようだ。これ以上の場所は無いというような言い方である。 「それで、土佐東寺庵の当面の目標は?」 国道ができる前にお遍路さんたちが使っていた道のことであろう。 「記憶を頼りに教えてもらうんやけどね。『あそこの山にお遍路さんが入って行って、死んだ』とか。そんな気の滅入る話をいっぱい聞かされてね」 蜷川さんはかなりご執心らしいが、あまり成果は見込めないのではないかというのが龍馬くんの意見だった。 のんびりとした昼食を終えて、土佐東寺庵に戻る。 「先生は、もう京都の東寺庵はどうなってもいいと思ってるみたいやねぇ」 奇人である。だが、そのおかげで僕らはずいぶん楽しませてもらっている。 「まぁ、でも蜷川さんは普通の金持ちより良いお金の使い方しているようにも思うよ。贅沢をするでもなく、女に熱を上げるでもなく。未来の芸術家たちに投資しているわけだから……」 土佐東寺庵に着いて、スタッフ部屋にて暑い午後をまったりと過ごす。 京都の東寺庵もまったりとした場所だが、ここはそれ以上かも知れない。 あまり何も起こらないので、帆保江ちゃんを連れて近くの砂浜までドライブした。 土佐東寺庵に戻った時には、五時をまわっていた。 「そしたら、ごはん頼むわ」 帆保江ちゃんが主婦のように台所に立ち、男共はこたつを囲んで雑談。 午後六時。夕闇の迫る接待所では胡麻塩さんがひとりで文庫本を読みふけっている。 壁には東寺のポスターがたくさん貼られているが、これは本来、京都の東寺がお遍路さんの参拝を促すために作ったものだ。これだけ見ると、まるでここは東寺の出先機関のようだが、実際には東寺とは何の関係もない。この紛らわしいポスターのせいで、土佐東寺庵で接待を受けたお遍路さんが、京都の東寺に「あの時はお世話になりました」とか、礼を言いに行ってしまったこともあったらしい。 僕が壁に貼られた四国の地図を眺めていると、胡麻塩さんが話しかけてきた。 「その地図見てたら、まわってみたくなるでしょう」 1,400キロといったら、東京・大阪間を往復できる距離であろう。相当な悩みでもなければ、僕はそんな距離を歩くことを決断できなさそうだ。 「放浪さんは四十日でまわったって言ってたけど。すごいなぁ」尊敬とも羨望ともつかない口調で胡麻塩さんが言う。ひそかなライバル心を抱いていたりするのだろうか。 「車のご接待を受けたりしたんじゃないですか」 ふたりで話しているところへ、帆保江ちゃんが胡麻塩さん用のご飯とみそ汁を運んできた。 「どうぞ。私が作ったんで、おいしくないかも知れないですけど」 胡麻塩さんは頭を下げてお盆を受け取る。 僕らはスタッフ用の建物で食事する。スタッフの生活場所とお遍路さんの生活場所を明確に分けるのが、ここの方針である。胡麻塩さんはほとんどスタッフ並みの手伝いをしてくれるが、お遍路さんということで、食事はいつも接待所で済ませているようだ。 北国さんから東北の魚の話を教えてもらった。 台所から龍馬くんがポリ容器を持って戻ってきた。 「これは桃本さんからもらったやつやけど」 土佐東寺庵のスタッフである桃本さんという人が自分で炊いたジャコ山椒。京都の名物らしい。桃本さんは昔から京都で暮らしている人である。ジャコ山椒は京都みやげとして有名なのは知っていたが、家庭でも食べられているとは知らなかった。 一日、ほとんど何もしていないのに、なぜか食が進む。 「ここにいると、魚を食べることが多いのかな」 接待されるというのはつまり、寄付されるという意味であろう。 夕食後、明日のための買い出しに出かけることになり、購入する必要のある商品のリストを作った。ペンキ塗りに使う工具がいろいろ必要だったが、すべてダイソーで手に入るという話。田舎の100円ショップはすごい。 「何でも置いてあるよ。ポルノコーナーとかもあるしね」と龍馬くん。 清濁併せ呑み、インドのバザールみたいである。 スタッフ一同がぞろぞろ出かける時にも、胡麻塩さんは接待所で文庫本を読みふけっていた。 買い物を済ませ、その後、スーパー銭湯で入浴した。 帰ってきたら、また酒を囲んで雑談になった。 翌朝は七時頃に龍馬くんに起こされた。 胡麻塩さんは掃除を終えて、また文庫本を読み始めた。その横に腰掛けて、僕は尋ねる。 「まだしばらく、こちらにおられるんですか」 胡麻塩さんは本を閉じ、顔をあげた。 「ええ。蜷川さんに旅に出てこいと言われるまで、ここにいますよ」 冗談とも本気ともつかぬ顔で、歯を見せて笑った。 国道から駅前に続く細い道に入ると、両側に田んぼが広がっている。 上川口の無人駅はのどかな田園風景の中にぽつんと佇んでいた。 Posted by taro at 2005年11月18日 23:58 |
コメント
はじめまして
十年程前に一度、通しで歩き遍路をさせてもらったものです。
今回時間が空きそうなので10月にもう一度遍路にでようと
考えていたときに、このサイトを見つけました。
"土佐東寺庵”是非行ってみたいと思います。
Posted by: Shuji at 2007年09月17日 10:55
土佐東寺庵、想像されているものより小さいかも知れませんが、ぜひ立ち寄っていただければと思います。
すでに通しで歩き遍路をされた方に立ち寄っていただけたら、スタッフ一同、大変喜ぶと思います。
Posted by: taro at 2007年09月18日 00:52











