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2005年09月30日
ニューヨークで脳とかの研究をしている女の子たち
ニューヨーク大学のCenter for Neural Scienceという研究所を訪問し、そこで知り合った日本人の女の子たちと、グリニッジビレッジのニッカボッカという喫茶店でお茶をした。
あきこさん、しょうさんといって、二人とも女ひとりでニューヨークに乗り込んでいるだけであって、なかなか個性的な方々であった。
あきこさんは認知科学が専門で、脳波やfMRIを使って視覚のワーキングメモリを調べている。
学部時代はオレゴンの大学にいたそうだが、その時の研究室はニコチンが集中力を高める働きの研究でフィリップモリスから研究費もらっていたとか。
しょうさんは神経生理学が専門で、NMDA受容体の増減が記憶に与える影響を研究している。
学部の一回生の時だけ京大にいたのだが、前期だけ通ってやめて、アメリカに来たらしい。親には怒られたそうだ。
僕の同行者はIT系企業の社長であるヤナさんと、別の会社の重役であるY。
脳内の情報をどれだけ取り出すことができるのかというのに興味があり、いろいろ話を聞いてまわっている。
個人的な興味が90%、次世代のITサービスを考えるという名目が10%くらい。
「人が頭の中でイメージを思い浮かべる時、視覚野が活性化しているという話がありますよね。それなら、視覚野にセンサー当てて、その人が今どのような映像を思い浮かべているか、読み取ることができるようになるんでしょうか」と、ひとまず訊いてみる。
「そりゃまだ無理ですね」とあきこさん。「脳波ってのはたっくさんのニューロンの活動の平均だから。そんな細かいところまでは見れない」
「fMRIは?」
「それもそこまで細かくない」
しょうさんがテーブルの上に拳を並べ、手首のところで合わせて丸い形を作った。
「脳って、これくらいのサイズなんです。これだけの中に、ものすごく複雑な中身が詰まっている。私はいつも電子顕微鏡で見ていますけど、それでもものすごく複雑なんです」
拳二つというのは、思っていたより小さい。大脳だけなら、そんなものなのかも知れない。
脳がとてつもなく複雑なシステムであるというのは、分かる。しかし、たかだか有限個の原子から構成されていることには変わりがない。それらが集まっただけで、そこから意識や感覚や思考といったものが生じてくるのは、本当に不思議なことだ。
「ニューロンって結構太いから、電極は刺せますよ。そしたらいろいろ情報取れるんでしょうけど」しょうさんが補足する。
「人間での実験は無理ですか」
「イスラエルならできるかも知れません。あそこは倫理委員会が無いっていうか。何でもオッケーだから」
脳にチップを埋め込む研究とかも、がんがんやっているらしい。
「動物実験だと、いろんなことがやられてますよ。暇系な研究が結構あって。『ネズミにとってベッドとか何か』というのを明らかにしようとする研究とか」
「それは暇ですねー」とあきこさん。
「結局、囲われているということがベッドの条件だってことになったらしいんですけど」
「犬とかでも狭いとこ行くしね」
「それ使って、犬を騙せたりするのかな。全然寝心地悪いのに、なぜかそこに向かってしまうという」
「暑い・寒いと考えるだけで車を右に曲げたり左に曲げたりというのはできますか」Yが尋ねる。
「どうでしょう。暑い・寒いは、脳内では似た変化ではないかと思いますけど」
「なるほど。じゃぁ、赤いと丸いなら?」
「うーん」
「キーボードだって、単なる慣れでしょう? あんなの、昔は全然使えなかったじゃないですか。脳インターフェースだって、そのうち慣れるのと違いますか」Yが食い下がる。
しょうさんはちょっと考えて、「ビデオゲームをプレーしている時に車を停めるのは大脳だけど、実際の運転で車を停めているのはもっと下の部分じゃないのかな」
「暑い・寒いで運転するって話、私は将来的にはできると思う」とあきこさん。「だけど運転の動作には意識的な部分と無意識的な部分があるから、その無意識的な動作をどう代行させるかが難しいところだと思う」
そこからさらに、記憶の話になった。デジャブ(既視感)が生じた時、脳で何で起きているのかという話。しょうさんが面白い仮説を聞かせてくれた。
「デジャブは、見た時と意識した時との時間差だという説を読んだことがあって。つまり、実はほんの一瞬前に見たから記憶があるのに、ずっと前に見たことがあるというように捉えてしまっている。そんな状態がデジャブじゃないかと言うんです」
「それ、面白いですね」
「デジャブって、ありえないことを見たという風にはならないじゃないですか。ニューヨークにずっと暮らしていた人がアマゾンに行った時、『私、ここに来たことがある』という風にはならない。むしろ、来たことがあるかも知れない、起きたことがあるかも知れないという状況でのみ、デジャブは生じる」
だからある程度大脳での処理を経た上でデジャブは感じられているのではないか、というのがしょうさんの考えのようだ。
最近思い付いた考えを言ってみる。
「記憶って、命題の形で蓄えられているんじゃないかって思うんです。目で見た光景の記憶とかって、思い出すたびに映像を作り出しているんじゃないでしょうか」
それに対し、しょうさんがコメント。
「そもそも記憶というものは、思い出すたびに変えられてしまうと思うんです。思い出すたびに、思い出した時の情報が入っていく。たとえば耳に入っていた音とか。だから、一番確かな記憶は、思い出したことのない記憶なんです」
「それって記憶じゃないじゃん」ヤナさんがつっこみを入れる。「逆に、絶対忘れたくない記憶を刻みつけておくとか、できるのかな。ボタンを押したらすぐに思い出すとか」
「それ、流行りそうですね」と僕。
「痴呆症の老人がボタン押したら、息子を急に思い出すとか。快楽中枢に繋げて、息子を見た途端、喜び出したりとかね」
「面白い。同じことを恋人とかにも要求されそう。入れ墨の代わりに」
そんな感じで、とりとめもなく雑談した。
なかなか興味深いニューヨークの過ごし方であった。
Posted by taro at 2005年09月30日 21:05
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