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山梨正明「認知文法論」随想

山梨正明先生の「認知文法論」(ひつじ書房)は、とても面白い。
たとえば以下の二つの文が比較されたりする。

・九時にドアが閉まりますので御注意ください!
・九時に閉まるドアに御注意ください!

後者は、絶対におかしい。だが、なぜなのか。
「慣例だよ」で済ませてしまっては、何も始まらない。
違和を感じさせる仕組みを解き明かすことが、この本の主題である。

実際、言語学において、前者は述定、後者は装定と呼ばれて区別されている。
日本語では情報へのフォーカスが後の方に集まるため、装定では事態よりも対象に注意が向けられる。
すなわち具体的・一回事象的といったニュアンスが発生するため、
毎日九時にドアが閉まるという恒常的な事実を説明するのには向かない。

それから、以下のような例。

・あ、鳥が一羽、二羽、三羽、飛んできた!
・あ、鳥が三羽、一羽、二羽、飛んできた!

後者は明らかにおかしいが、当たり前すぎて、普段は意識することもない。
だがここには、文というものが類像記号(イコン)としての性質を持つことが現れている。
文における順序と認知における順序とが同型なのである。
いわば、「象形文字」ならぬ「象形文」が存在するということ。

使い慣れた表現の中から様々な構造と法則性が見出されていくことに、大きな興奮を覚える。

たとえば安部公房の小説を読むと、これでもかというくらい比喩表現が現れる。
比喩は小説の重要な様式である。特に直喩(「〜のような」という形で明示的に喩える表現)は
映像が持たない形式であり、文章の特権のひとつともいえる。

また、「見立て」は物理学を理解しやすく点でも重要である。
「電位」「電圧」「電流」は、用語自体が流体の運動と対応させられている。
複素数にしても、平面という「見立て」の果たす役割は大きい。
もちろん、安易な類推は間違った結論を導くこともあるので、注意は必要であるが。

比喩については、ユーモアとの関係も興味深い。
多くの笑いは目の前の出来事を別の構造に「見立て」ることによって生じる。

℃ Taro Tezuka (2002.5.14)