【調査報告】
脳を知る
自分の脳ミソを、知りたいと思う。この広い宇宙に、自分の脳ほど特別な場所は無い。
僕が考える。それに対応する変化が、常に、この脳の中で起きる。
脳は語る。脳は雄弁だ。僕が口に出して言わないこと。黙って考えていること。それらすべてが脳を通して物理世界に発信されている。脳は、僕の内なる思考と物理世界とをつなぐ、太いパイプ。
脳にすごく興味がある。
脳の研究をしている知り合いといえば、学部生の頃に同級生だった井上がいる。同じ建物内の研究室でネズミの脳に発熱させる研究をしているはずである。
井上は昔探検部に所属していて、ジャングルの川をボートで下ったり、山で猪をつかまえ食ったりしていた。そんな彼が今では真面目に脳の研究者。なかなかかっこいい。
ある日、便所で顔を合わせた時に聞いてみた。
「研究はどんな調子?」
「・・・行き詰まってるなぁ」
「どして?」
「ネズミの脳には、限界がある」
「そりゃ、あるでしょ。人間ではないわけだし」
「最近、思うのはな・・・ネズミをいくら研究しても、人間の感情は、分からんと思う。けど、もっと原初的な情動、って呼んだらいいのかな、そんなものは分かりそうや」
感情と情動の違いがよく分からなかったぼくは話題を変えた。
「脳を理解するって、どういうことだと思う?」
「理解って、難しいよな」
「僕は思うんだけどさ。脳の働きって、あまりにも複雑じゃない? それをモデル化するには、ものすごい数の方程式が必要となるわけで。脳を理解するとは、まさにそれらの方程式を知ることだと思う。だとしたら、そんなことはひとりの人間には不可能でしょう? 出来るのは、性能の高い計算機くらい。方程式を記憶し、用いることを理解とみなすなら、計算機には脳が理解できる。人間の個人には、出来ない。だけど人間にとって重要なことは、脳を理解することよりも、その理解を利用することの方だと思うんだよね」
「そーかも知れんな、理解の定義が難しいよな」と井上が言った時に、後輩が便所に入ってきた。
便所で議論しているのが何となく恥ずかしくなり、その場は別れた。
自分の脳の画像を見たいと思った。
見たからといって、何か大きな発見ができるとはもちろん思わない。
では、なぜ見たいか。おそらく自分の脳が物体であることを確認したいのだと思う。僕が動作をするたびに、脳が動いていることをこの目で見てみたい。
これを知り合いの医学部生である牧に言ってみたところ、生協の食堂で脳実験の被験者を募集しているという情報を教えてくれた。
さっそく見に行くと、以下のように書かれたビラが壁に貼ってあった。
「機能的核磁気共鳴画像法(fMRI)による非侵襲脳賦活検査の被験者として参加できる方。協力者には高額(10,000円程度)の謝金」
非侵襲ってのはおそらく人体にメスを入れることがないという意味なのだろうが、なんとも分かりにくい書き方。しかも、『高額』とわざわざ断っているところが、怪しすぎる。
さっそく連絡してみた。
募集していたのは総合人間学部環境適応論講座で助手をなされている内藤先生。さっそく来て欲しいといわれて、翌日研究室を訪れた。
脳の研究者というからには、脳ばかり肥大化した火星人のような先生なのだろうと勝手に想像していたのだが、実際は筋骨隆々たるスポーツマンタイプの先生だった。昔サッカー部だったらしい。
数日後、予備実験に参加した。屈強な内藤先生と、痩せ型とぽっちゃり型のふたりの院生に挟まれ、運動錯覚の実験を行なう。マッサージ器のような装置で手首のところに振動を与えると、不思議なくらい、手が曲がっていくように感じられるのだ。その感覚を憶えておいて、同じ速度で手首を曲げるように指示される。「今度はそれの、二倍の速度で」
難しい注文。思った通りに手首が動いてくれない。なかなか難しいものだ。様々な速度で動かした手を、ビデオで撮影していく。明らかに短すぎる時間で限界まで来てしまい、気まずい気持ちで静止させる。
「こういう実験って……人によってまったく違う結果が出そうじゃないですか。有意な結論、出るんでしょうか?」
「ところが面白いことに、みんな同じような結果が出るんだよ。不思議なもんでね」
僕の失敗も、統計的処理をかければ有意義な標本として使えるのだろうか。何度やり直すことになっても、先生と院生は落ち着いている。不慣れな被験者に、慣れているのだろう。
「実験って、大変ですねえ。忍耐が必要ですね。煮え切らない被験者に対する忍耐が」
と、煮え切らない被験者である僕はため息をもらした。一時間後、予備実験は無事終了した。
本実験は、数週間後。最新式のfMRIを使うとかで、名古屋まで行くことになった。集合は内藤先生の研究室の前に、午前七時。約束の時間ちょうどに僕が姿を現すと、既に牧が来ていた。ロビーのソファに腰掛けている。ひとつ席を隔てて、見知らぬ女の子が座っていた。僕は牧に、
「最近、どーしてんの?」
「んー、ぼちぼちだな」
電話やメールで話すことはあっても、顔を合わせるのは久しぶりだ。二人で話していると、澄まして座っている女の子のことが妙に意識されてしまい、おもわず声をかけた。
「どーも、こんにちは」
明るく言ったつもりだったが、むこうは「こんにちは」と、気のない返事。どのようなジャンルの人間がこの実験に参加しているかを、知りたいと思う。自分というものについて真剣に悩んでいる人が、何人か参加しているのではないかという期待があった。女の子に尋ねる。
「どういった理由で、この実験に参加されてるんでしょうか?」
「実験者の知り合いなんで」
冷たい言い方。
「なるほど、そうですか」そんな風に答えられてしまうと、その先を続けられない。仕方ないので、「僕らは自己探求だよね」と、聞かれたわけでもないのにつぶやいた。女の子からの反応は無い。
彼女を巻き込むことはあきらめ、牧と会話する。
「最近、思っていることなんだけどね。『脳に心が生じる』ではなくて、ちょうど感情が表情に表れるのと同じように、感情が脳に表れているだけじゃないのかな、って思うんだよね」
眉のあたりに皺を寄せながら、
「結局、一緒じゃないかって気もするけどな。因果関係の順序というだけで」
「そんなことは無いでしょう。『脳に心が生じる』という考え方だと、他人の心にも脳が生じるかのように考えてしまうじゃない」
しばし沈黙があってから、
「たしかに、他人に心が無いってことなら、心が脳に現れるって考える方がすっきりするな」さらにもうしばらく黙ってから、「心っていうものについての定義があいまいやん。自意識っていうのが・・・世界を認識する主体ってゆうか・・・いや、でも、外界を一番のリアリティを持って認識できるような主体っていうのを心と呼ぶのであれば、たしかにそれは自分にしか無いものやな」
僕の考えでは、『主体』という言葉を出すより、人体と言った方がいいかも知れないと思う。それと別の物体との接触が、リアルであるような人体がこの世界の中にひとつだけある。たとえば牧くんと自動車が接触しても、そこにはリアルな痛みは無い。
内藤先生の車に乗り込む。このまま名古屋まで行くと聞かされる。自動車というものに慣れていない僕にとって、京都から名古屋まではとてつもない長旅のように感じられる。実際はそれほどでもないのかも知れない。運転席に先生が座り、助手席に僕らと同い年くらいの、ひょろりと背の高いお兄さん。被験者であると思われる。そして後部座席には僕と牧が乗った。院生のふたりと女の子は、別の車で後ろからついてくることになった。
どんよりした空から、小雨がぱらつき出す。車は三条の坂道を軽快に上がっていく。
「先生は長いこと、脳の研究をなされていますよね?」
「いや、別に、長くはないけどね。まだこの年だし」
「これまで脳の研究をなされていて、どんな面白い発見とか、ありました?」
「発見ねえ」と笑う。
「脳の研究って、今のところ、どこにどんな機能があるかが分かる程度ですよね? そりゃまぁ、場所と機能の対応が分かればそれで十分という見方もできますけど・・・」先生は僕が話し終えるのを待ってから、
「仕組みの研究をしている人もいるけどね。すごく難しいんだ。これが脳の仕組みだ、っていう説がいろいろ出るんだけど、どれも決定的でない。すぐに反論が出る。それだけじゃ説明できないだろ、っていう。だから、なかなかひとつの方法で説明できない。どれを採っても、それがすべてではないという結果が出る・・・」
「脳の研究では、どの分野が一番進んでいるんですか?」
「視覚だね」ためらいなく答える。「実用化の段階にも入っていてね。目の不自由な人の脳にチップを埋め込んで。見えるようにしたって報告がある。だけど、途中から目が不自由になった人でないとダメみたいだけど」
「思うんですけど、初めから目が不自由な人でも、自分が歩き回る空間を把握しているわけですよね。触覚や聴覚から、どこに何があるかを思い浮かべて動き回っている・・・・・・だとしたら、そのような空間把握を行なっている場所にチップを埋め込んだら、目が見えるようになったりしないですか?」
「それがまさに僕のやっている分野でさ」
内藤先生は運転席で声を張り上げて、「腕を伸ばした先に触れる物体とかは」と実際に腕を伸ばしながら、「視覚と身体感覚の両方で把握されているわけでさ」
そう言われてみればたしかに、予備実験は運動感覚と視覚の統合を調べるような内容であった。僕らが参加する実験がそんな形で役に立つかと思うと、愉快であった。
「先生のご出身分野は?」牧が尋ねた。
「初めは実験心理学をやっていたんだけどね」
「そうなんですか」
「教育学部で実験心理学の講座にいて。でも、それじゃ物足りなくなったんだな。彼ら、行動変数だけを変えて、システムというものをまったく無視するからね。それで、大学院から人間環境学研究科の環境適応論講座に来たんだ。霊長類研究所の久保田先生の院生になって。学部の時にはまったく聞いたこともない脳の話を叩き込まれて。なるほど、こういう仕組みで動いていくのか、っていうのが面白くて。こっちに移ってきて、良かったよ。実験心理学に進んだ人の話を聞いても、キビシイよね。脳のシステムをまったく無視してるから『それで何?』みたいな」
手厳しいコメント。
さっきから助手席の男の子が黙りっぱなしなので、話し掛けてみた。
「どーも、はじめまして」
「あ、はじめまして」
「この実験には、どうして参加されようと思ったんですかね?」
「内藤先生の顔なじみで・・・」
運転席の内藤先生を見て、にやにや笑った。
「けっこう強引に誘ってしまったよな」と内藤先生。
助手の先生と学生というより、高校の先生と生徒の関係を彷彿させた。牧が横から、
「被験者は、ツテが多いんですかね?」
「いや、そうとも限らないよ」
「今回の実験には、何人が参加しているんでしょうか」
「九人。これで強い結果が出ればいいのだけど、普通はひとつの実験について、十二人くらい」
思ったより、少ないものだ。
「昔はPETでさ。酸素のアイソトープを水に混ぜて注入するんだけど。一分間くらいの記憶課題を与える実験でもさ、組織が若干、被爆するわけよ。MRIになると、もっと短い期間にたくさんのデータを取れるわけでさ。いやでも、MRIの影響については、誰も気にしてないよね、ほんと。それでいいのかって思うくらい」
放射線技師は大変だ、みたいな話になる。僕はもっと哲学っぽい話がしたかったので、話題を変えることを試みた。
「あのう、世の中に脳はたくさんありますけど、なぜこの脳だけが『僕』なんでしょうかね? どの脳だって、似たようなものじゃないですか」
先生は少し考えてから、
「使い方が、違うんじゃないかな。脳の研究だとね、だいたい、みんなどの部分を使うかは分かる。だけど、細かい場所が人によって違う。今回の実験なんてのも、すごいシンプルでしょう? なのに、人によって活動する場所が全然違う。平均的な場所というのはあるけれど、そこからプラスアルファがある」
科学的な考え方だ。あるいは『機能に基づく説明』と呼ぶべきか。けれど僕は満足できなかった。
「僕が不思議に思うのは、なぜ、脳に意識が宿るとされているのかという点なんです」
「脳研究の分野でもね、『意識とは何なのか』ってのが、はやっているよ。しかし、『意識だけを研究するのでは意味がない』と言う人もいる。神経生理学者から哲学者になった人がイギリスにいてね。マスコミから引っ張りダコで。そのおっさんに言わせると、『意識ってのはゼロだ、意識の研究なんてするな』と。つまり、意識なんてものは無くて、ただ個々の機能があるだけだ、と。その人の講演を聴きに行ったことがあるけどね。初めは『意識はゼロだ』と言っていたのが、終わりの方では何故か『意識とは言語だ』なんて言い出して。質疑応答の時に、『言語を獲得する前の子供には意識が無いのか』と質問されてて、『無い』って答えてたからな。驚いたよ」
すごい哲学者だ。本気でそう思っているのか、思わず口走ってしまったのか。
「それに、consciousnessではなくて、awarenessって呼び方に変えようという話もあるんだよ」
「awarenessなら、動物にもあるってことになりますね」
「ある」
「機械にも」
「あるね」
Awarenessの方は、人間と機械との敷居を下げるという意味で、有意義な概念かも知れない。
「アメリカに、Consciousnessという学会があるんだけどね。ここは、ほんっと、面白い。機会があれば、見てくるといいよ。この学会のためだけにアメリカに行くのは、お勧めできないけどね。ニューラル・コリレーションこそが意識だって主張している神経生物学者がいるかと思えば、アンデスのインディオが使っている薬物を飲んで神を見る実験を行なった成果発表があったり」
「・・・・・・意識に関する学会で一番大きいのは、それなんですか」
「タイトルに『意識』って入っているのは、それが一番大きいよ」
意識研究の道は、まだまだ先が長そうだ。「意識は機能を集めた名称に過ぎない」という説は、他人については当たっているかも知れない。だが、自分に関してはどうか。
「気になるのは、他人の意識というよりも、自分の意識じゃないですか。そして自分の意識においては、記憶だの知覚だのと言っても、すべてひとつにまとまって現れている。とりあえずひとつにまとまった世界がある。それを記憶や知覚に分けているわけですよね。そうでなければ、世界は存在しないですよね。ひとつでなければ」
「同じように問題を解けたとしても、Aって人とBって人において、同じ仕組みで動いているとは限らないよね」
ここで言われているAを自分、Bを他人と考えたら、僕の考えに近いかも知れない。
「僕が脳を不思議だと思うのは、『見ていることそのもの』を、見ているわけですよね。それって、他の場所では起こりえないことですよね?」
言いながら、自分でも訳が分からなくなってくる。本当に、そんなことが言えるのだろうか?
「たぶん・・・ある程度、情報をカットしているんじゃないかな? 完全に内側を向いたら、変じゃない?」
先生の答えはやはり、機能に基づいて説明する立場であった。
「なるほど。たとえ脳を見たとしても、『見ることそのもの』を見ているとは、言えないかも知れないですね。脳をどのようなものと理解するかというモデル、一種のフィルターを通して見ているわけですから。実は、『見ることそのものを見る』なんて、全然出来ていないんですね。脳を見て、そのことによって自分を知れたと思うプロセスには、必ずや『推測』が入っている。ちょうど、表情を見て、感情を推測するように」
脳の活動を表情になぞらえるのは、よいアイデアかも知れないと思った。
ところで、「モデルによるフィルター無しには自分を見ることは出来ない」という表現における『自分』は見ることもできないし、論じることもできないわけだが、そんな言葉を使うことにどれだけの意義があるのかを問うことも出来る。「フィルターを通さない自分」は、意味をなさない言葉かも知れないのだ。
先生が言った。
「脳の働きを被験者に見せて、どういう反応が現れるかという実験は、行なわれているよ」
研究者はいろいろなことを考えるものだ。
二時間ほど高速を走った。岐阜県の養老インターにて、休憩をとる。車を出るなり牧に、
「思考は・・・他人の脳とも『対応』しているんだよね、ある程度」と言ってみた。
「解剖学的には一緒やしな」
僕の言わんとするところをすぐに分かってくれたようで、打てば響くような答えがものすごく嬉しかった。
「それから細胞の構造も」と僕は付け加えた。
ようするに、僕の脳と思考との間に対応関係があるのなら、僕の脳がニューロンからなるという解剖学的事実は、他の脳とも共通するものであるから、思考は間接的ではあっても他人の脳と対応しているのだ。
休憩所で、お茶を飲むなどした。インディオの薬物の話を思い出して、
「キノコを食べた時、神を見たりした?」と聞くと、
「無いなぁ。わしはどっちかというと、無になる、というか」
「そーか。僕は、神も無も無いな。すべてが夢であるという強烈な自覚は生じるけど」
ふたたび車に乗り込んで、先生に質問攻めの続きを行なった。
「先生がこの分野に関心を持たれたモチベーションは、何だったんですか?」
「そうだねぇ」軽く首を傾けて、「ちょっとずつ、先が分からないからね。やっているうちに、それが見えてくる。面白くてね。もう少しやろうと思うんだ」
「そしてずるずると」
「そう。こうやったら、うまくいくんじゃないかなぁってのが、いつもあってね。もっと先が見たくて、研究者になることにしたんだ。学部生の頃は、なんとなく心理現象に関心を持ったのだけど、実験心理学には不満があってさ」
激しい雨。木曽川の長い橋を渡る。名古屋に近付くにつれ、車の数が増えた。
「渋滞してんなぁ」
徹夜開けの牧は、やがて寝てしまった。隣で会話を続けるのも申し訳なく思い、本を読んでいると、僕も次第に眠くなる。まどろみから覚めた時には、目的地に着いていた。
名古屋ではなく、岡崎であった。国立共同研究機構。その一角を占める、国立生理学研究所。
「このあたりは土地が余りまくってるらしくて。ひっろいんだよ」
車を停める場所を探すのに苦労する。雨のせいで、車で登庁している職員が多かったようだ。
ここだよ、と教えられた建物は、プレハブに毛が生えたような白くてシンプルな外観であった。中に入ると、テディベアのような顔をした先生と、おとなしげだが実はやんちゃといった感じのお姉さんが迎えてくれた。入ってすぐの部屋が、待合室兼制御室である。数台のコンピュータと大きな机が置かれ、建物の半分を占めている。もう半分がfMRIの置かれた部屋であり、ふたつの部屋を仕切るドアには「鉄製の機器はすべて外してください」なる張り紙が貼られている。ボールペンまで、ダメなのだそうだ。
実験への同意書にサインする。「機能的核磁気共鳴装置を用いた手運動の視覚情報と運動感覚情報の脳内統合過程の研究」。この時はじめて、内藤先生の研究の正式名称を知った。
すぐに実験が始まるのかと思ったら、プログラムがうまく動作していないとかで、しばらく待たされる。牧がカバンから本を取り出した。言語学者の丸山圭三郎が好きだと聞いていたが、これは黒鉄ヒロシとの対談本。ぱらぱらと読ませてもらうと、欲望や言語について書かれている。
「こういうのを読んでいるとさ、これらを脳というアプローチから探ろうとは、思わへんの?」
「うーん・・・脳をいくらほじくりかえしても、出てこーへんと思うけど」
僕が納得していない表情を見せたので、
「もちろん、脳で説明できる部分もあるよ。たとえば『言語による非在の現在化』という現象がある。誰かが『トーフ』と言っているのを聞くと、目の前に豆腐なんて無いのに、豆腐が思い浮かぶ。これなんかは脳の機能として説明も出来ると思う。だけど、説明したところで面白くないというか」
「脳から迫った方が、確実だとは思わない?」
「あんまし、確実性は求めてない」
僕はなおも食い下がり、
「ユングとかフロイトの説なんて、いつかくつがえされると思わない? だけど、脳研究の成果の方は、いつまでも残りそう」
「そりゃ、フロイトとかユングの説は怪しいけど。人はそれに惹かれ続けて来たのであって・・・形は変るかも知れんけど、無くなることは無いと思う」
「なるほどね。実際、怪しい思想が人類の歴史を作ってきた、ってことか。まぁ何を分かるにしても、面白く分かった方がいいもんな。『分かったから何?』って言い方も出来るわけで」
僕らがそんな話に精を出している間、スタッフはプログラムのデバグに取り掛かっている。僕は言う。
「脳ミソって言葉、すごいよな。誰が考えたんやろか」
深い意味は無い。脳を味噌に喩えた日本人の言語センスに感銘を受けただけである。
「戦国時代とかに頭をかぱって割ってみて、味噌みたいやって思ったんちがうか」
「僕ら、頭の中に、味噌が入ってんねんで。味噌やで、味噌」
どうでもいいこと言ってるな、と気付いた僕は、
「脳の研究、しないの。脳の」と、もう一度訊いてみた。
「あんまり、する気がないな」
「面白そうじゃない?」
「脳とウィルスの関係は、興味あるけど」
「へぇ。ウィルスによって感情が伝わってるとか?」
「いや。年齢によって性格が変わっていくこととか。そのトリガーを、ウィルスが調整しているのではないかな、って思っていて」
「その研究ぜひ、やってよ」
「それからハッピーになれるウィルスとか作るとか」
「人類のためになるなあ。文明は崩壊するかも知れんけどね」脳の研究は、必ずや世界を大きく変えると思う。「脳が究極的なところまで分かると、世の中はどう変るんだろう? いや、それより、『脳が分かる』ってどういう意味なんだろう?」
「分かったところで、あんまり関係ないような気もするな」と牧。
「でも、たとえば進化論は人間観を大きく変えたじゃない。脳研究も、人間の世界観を革命的に変えるとは思わない? 進化論と同じように、人間の尊厳っていうものが弱まるとは考えられない?」
「うーん」
考え込む牧。僕は付け加えた。
「脳についてたくさんのことが分かっても、それはこれまで文学者とか人文系の学者が積み重ねてきた、“人間観察”に新しい知識が付け加わるだけかもしれない」
そんなことを話しているうちに、装置の準備が終わった。僕はあまり時間がなかったため、先に行かせてもらう。帽子をかぶり、耳栓をして、ヘッドホンをつける。ここまで装備しないと、装置から出る「キーン」という音がうるさくて仕方ないのだそうだ。ベッドに横たわると、自動的に滑って、本体の中に運び込まれた。まるでSF映画のワンシーンだ。
鏡のついた眼鏡をかけて、頭の上の壁にプロジェクタで投影されたコンピュータのスクリーンを見る。予備実験の時に撮影した手首の映像が流される。映像から生じる視覚フィードバックと、手首への振動刺激による体性感覚フィードバックの間で、どのような相互作用が生じているのかを明らかにするのが今回の実験の目的だ。
ヘッドホンから、テディベア先生の声が聞こえる。
「キーンという音が鳴ったら、磁場がかかっています。異常を感じたら、言ってくださいね」
僕は妄想する。磁場がかけられた瞬間、『この意識』はどこか別の場所に飛ばされてしまう。かわりに別の意識が僕の人体に入り込む。記憶もまるごと持っていくから、そいつは自分が初めからそこにいると思い、今まで通りの生活を続けていく。MRIを体験した場合は必ずそうなるのだが、外から見ても気付かないし、新しい意識もそれに気付かないのだのだ。
キーン、という音がヘッドホン越しに聞こえた。音以外には、何の変化も感じなかった。意識は、無事に磁場の津波をくぐりぬけたということだろうか。わからない。
誰かが僕の手首に振動を与えている。手が曲がっていく錯覚を感じる。そしてそれを表現する電流が、脳に流れているはずだ。体を動かすと、余計な電気が流れてしまうから注意して欲しいと言われている。舌の位置を変えただけで、それに対応する電流が流れるのだ。どこもかしこも、電気。実際、僕=電気現象、という対応すら成り立ちかねない。思考と呼んでいるものを、電気と言い換えても矛盾が生じないような。
実験の時間は、ずいぶん長く感じられた。ずっと、自分の手の映像を見つめている。そして、手首に感じる錯覚。それらをfMRIが撮影していく。
僕は今、脳研究の実験台だ。脳の研究は日々進んでいく。このまま研究が進んでいけば、やがて脳の奥深く、人間がそこから自由になることのできない『思考の枠組み』みたいなものが見つかったりするのだろうか。「演繹装置」は見つかるのだろうか。
だが、思考の限界が見つかったとしても、僕の生活にはそれほど大きな変化を与えないかも知れない。むしろ恐ろしいのは『幸せの限界』だろう。脳に電極を刺され、とてつもない幸福感を感じつつ、「これが、あなたが感じられる幸せの最大値ですよ」と言われたら。それ以上の幸せは感じられないと知って、僕はどんな気持ちになるだろうか。
実験は、全部で6セッションからなる。各セッションの終わりごとに先生がやってきて、手首で感じた錯覚の強さを尋ねる。心配そうな顔で、
「何か、別のことに頭を使ったりしていないよね?」
「え・・・・・・いや・・・・・・あ、さっき、折れ曲がった手は象さんみたいに見えるな、と思いました」
ずっと手の映像ばかり見つめていると、いろいろなものに見えてくるのだ。先生はそれを聞いて笑っていたから、たぶん、その程度の思考なら問題ないと思われた。
次のセッションも、あれこれ考えていた。それにしても、こうやっていろいろ考えている僕は、いったい何を求めているのか。言語表現? 哲学を煎じ詰めて言えば、読むたびに納得を生ぜしめる言語表現、であるような気もする。だとしたら僕は言葉を求めているだけのか。むなしいような、それでもいいような。
最後のセッションの間は、記憶について考えていた。記憶は脳の中にあるとされている。小さな頭蓋の中に、すべての記憶を詰め込んで僕は歩きまわっている。ぞっとするのだ。僕の個人的経験のすべて。意識できるところのアイデンティティがすべて、この脳の中にある。あまりにも小さく、もろすぎる。
実験が終了した。
自動ベッドに送られて、装置を出た。おつかれさまと、テディベアの先生にねぎらわれた。待合室で本を読んでいる牧に声をかける。
「不思議に思ったことがあってさ」
「おお」
「なんで僕らって、動き回れるんだろう」
「そりゃぁ・・・・・・動き回れなかったら、困るからやろ」
「なんじゃそりゃ。僕が思ったのは、僕の肉体と外界とが、こんなに綺麗に切り離されて、移動というのが可能であることが不思議に思えるってことなんだけどね」
僕の肉体が植物のようだったら、同じようには感じなかったかも知れない。根っこの周りにからみついた土は、とても長い時間、同じ場所にある。水や養分は、土の移動とは比べ物にならない程の速度で、根っこと土の間を行き来する、だとしたら、根っこと土の間に境界線を感じることは、少ないのではないか。むしろ、自分というものが大地の中にも染み広がっていると感じられはしないか。だが僕の肉体は空間内を自由に移動する。ゆえに、肉体という単位が特に強く意識される。
感想を、もっといろいろと話し合いたかったが、その日のうちに関東まで行かなくてはならなかったので、駅まで走った。午後三時になっていた。
実家にて数日を過ごした際、前から会いたいと思っていた人物に会えた。
小学校から高校まで同級生だった木内くん。子供の頃、強烈な変人として知られていた。
なぜ変人かというと、まず、態度があまりにも飄々としている。女の子には興味がない。かといって、男の子に興味があるわけでもない。俗な欲求が、ほとんど欠如しているように感じられる。本を読むのは好きである。だが、将来のために勉強しているようには見えない。コンピュータにやたら強かった。高校時代はコンピュータ部に所属し、プログラムをがりがり書いていた。
現在、慶応の医学部で学生をしている。医学部にいる友人たちは口を揃えて「医学部には変人が多い」と主張するが、キウちゃんも間違いなくそのひとりだと思う。
以前から気になっていたことを、今回、思いきって聞いてみた
「キウちゃんってさ、恋愛とかするの?」
「そりゃぁ、するよ」
恥ずかしそうに答えていたが、大学に入ってから初恋したそうだ。
「人によって、恋愛感情が生じる時期が違うみたいだねー」
と言っていたが、大学生になってから初恋というのは、あまりにも違い過ぎる気がする。そんな木内くんの現在の専門は、神経生理学である。こんな人が見る脳は、いったいどんな風に見えるのだろうか。ぜひ話を聞きたい。アルタ前で待ち合わせをし、ガードの脇の小さな飲み屋に入った。席につくなり、インテルの64ビットCPUによってようやく上位互換から解放されるという話を始める。
「16ビットの時代がどれだけ長かったかを考えると。すごいよ」
そんな話をしに来たのではないのになぁと思いながら、うんうん頷いていた。
「Cってやっぱ、アセンブリなんだよ」
僕は話題を変える。
「それでさ、学校ではどんな研究してるの?」
うーん、と短く唸ってから、
「網膜の奥にアマクリン細胞ってのがあって。こいつが『動き』の検出をしているのではないかって言われている。そのひとつ上の層で、水平と垂直の検出が行なわれているんだけど。うちの先生は若い頃、そっちの研究で成果をおさめて。今はもうひとつ奥の層をやっているわけよ」
「はー、なるほど。網膜ね」
数十年で、1ミリほど進んだわけだ。地道な作業。
「アマクリンは末梢というより、中枢寄りなんだよね」
図を描いて説明してくれる。1ミリだけ中枢寄りなわけだが、それが重要なのだ。
「ここでdelayが存在しないとさ。運動の検出が出来ないわけよ」矢印を引いて、delayと書く。「アマクリンは、まさにそれという形をしていてさ。水平細胞と双極細胞はまっすぐ神経節細胞に伸びているんだけど。アマクリンは横に樹状突起をたくさん伸ばしていて。まわりの細胞に情報を伝えているわけ」
かつて思われていたよりも多くの情報処理が脳の外で行なわれているということが、ここでのポイントなのだろう。目は頭蓋の外に飛び出した脳だという話を聞いたことがあるが、こんな形で説明されるとは思わなかった。だが、脳の外での情報処理は、網膜に限ったことではないらしい。たとえば鼻と脳を結ぶ神経細胞の数は驚くほど少ないらしい。ということは、刺激物質の種類がそのまま脳に送られるわけではなく、なんらかの形で処理されてから伝達されていると考えられているそうだ。
「網膜のスライス作るのが、大変なんだな、実に。培養細胞を使ったらナチュラルでないからダメという話もあって。細胞の分類の問題もあるんだよねー。ほんと、難しいんだ」ため息をもらす。「うちの先生がやっているタッチクランプって作業とかね。まさに、“テク”なんだよね。微妙なセッティングが大切で」
「そんな実証的な研究よりもさ、脳のアルゴリズムの研究とかは、やらないの?」と聞くと、
「アルゴリズムねー」と語尾を伸ばして、「この前、神経回路学会と合同でやった会議に参加したんだけど。あっちはものすごい実用化を考えてるのね。実際に網膜チップとか作って。AIBOに乗せようとか、そんな話をしているんだよ。すぐ特許になると言われてる。人間を模倣して作るんだけどね。AIBOも中枢はごまかしてるけどさ」
キウちゃんの研究室では、そのような研究を行なっていないとのことであった。
「認知科学とか、やらんの? モデルとか作ってさ」
「あんまりやらないねー」
「キウちゃんにぜひ、中枢の研究をやって欲しいんだけどね」
注文をつけまくる。うーん、と考え込んで、
「中枢は、本当に難しいよ。この前、精神分析のセミナーに行ってみたんだけどさ・・・」
「おいおい、そりゃ、全然違うんじゃないの? 精神分析? あれは、中枢でも何でもないでしょ」
僕は慌てる。精神分析と脳の関係なんて、うさんくさすぎて大変だ。キウちゃんがそんなのにはまられたら、出てこなくなりそうだ。
話しながら僕はメモを取っていたのだが、あいづちが遅れた途端、いきなり話題を変えられてしまった。最近、産経新聞を取り始めたのだが、報道の姿勢が新聞によって全然違うのは面白い、という話を始める。
「キウちゃん、そんなに政治とか興味持っていたっけ?」と聞くと、
「政治にはキョーミあるよー。昔からあるじゃーん、知らなかった?」
センター試験で政治経済を受けて、百点だったのだそうだ。プログラマーとしてのキウちゃんしか知らなかったので、意外な感じだった。
それにしても、いろいろなことに興味を持つ人である。
「キウちゃんの中でさ、プログラミングに対する興味と、脳に対する興味、それから政治に対する興味はつながっているの?」
「つながってないね。昔はつながるかと思っていたんだけど」
「もったいないねー」
ぜひ、つなげて欲しいものだ。狭いカウンターが、かなり混んできた。長居しすぎているかも知れない。
「まだ飲む?」キウちゃんに尋ねると、
「どちらかというと、おなかが減ってる」
「そしたら、何か食べに行こう」
「吉野屋でもいいよ」
案内されるまま、吉野屋に行った。高校生に戻ったみたいだ。僕はさきほどの飲み屋であれこれつまんだため、お腹がいっぱいだ。サラダと漬物を注文する。
「もっと中枢をやろうや、中枢を」とけしかけると、
「中枢はねー、わかんないよー」と笑って、「中枢、どうなの、どうよ?」僕のわき腹を小突く。
「僕の考えでは。脳と同じ働きをする機械は、やがて作られると思っているよ。たとえフォンノイマン型でもね、パワーさえあげれば、脳を完全にエミュレートできると思う」
「そんなにパワーをあげられるのかな?」
「並列とかでさ」
「並列は、どうなんだろうなあ。二台つなげて二倍になったとしても、百台つなげて百倍になるわけじゃないでしょう?」
技術的な難点を指摘されてしまった。キウちゃんを説得するためには、もっと技術的な裏付けを考えていかなくてはならない。漬物に箸をつけながら、
「進路はどうするの?」
「悩んでるんだけどねー。公務員とかを考えてる」
「公務員!? あ、技術職ね」
「そう。厚生省とか」
検査官みたいな職種だろうか。よく分からないが、医者と研究者の中間のような微妙な仕事があるのかも知れない。
「キウちゃんには、ドクターに行ってもらいたいんだけどな。ガリガリ研究してさ。今まで積み上げてきたコンピュータの知識と、網膜の情報処理が結びついて欲しいんだよね」
キウちゃんは空になった牛丼の器を見つめながら、
「研究者ってさ、成果を出せたら、面白いと思うんだよ。だけど、成果が出ないこともある。出なくても研究が楽しいって人じゃないと、向かないと思うんだよなあ?」
そろそろ終電の時間も迫ってきた。店を出て、新宿駅まで並んで歩く。僕は少しだけ真面目な顔になって、
「頼むからつなげてくれよ。プログラミングと、脳と、政治経済と。この三つが合わさったら、ものすごく面白い話が聞けると思うんだけどな」
「難しそうだけどねー」
「講演生活とか、出来るぜ」
「そうそう、憧れるんだよ、講演生活。好きなだけプログラミングできるしなぁ」
結局、この人はプログラミングが一番好きなのであった。
京都に戻り、総合人間学部の構内を歩いていると、見覚えのある顔に出くわした。名古屋のfMRIで手伝いをしていた院生さんである。「どーも、その節はお世話になりました」と言った時、後ろから、もうひとつ見覚えのある顔が現れた。学部生の頃、同級生だった橋本トッサン。三年ぶりであった。当時はよく顔を合わせていたので、お互いにすぐそれと分かった。
「おー、珍しい。手塚、まだ大学におったんやな」
「もう院生だけどね」
「ふけたなー」
「どうだろね。それにしても、この二人は同じ研究室なんだね。すごい偶然」
僕の知っているトッサンは、もっとふにゃふにゃして、捉えどころの無い感じだった。それが今、後輩と一緒にいるせいもあってか、妙な貫禄が感じられる。隣の院生は、後輩にあたるようだ。聞けば、トッサンは脳に対する磁気刺激の研究をしているそうだ。
「磁気をかけると視覚が歪んで見えたりするの?」
「閃光が見える人もおるらしいけどな。うちらはどちらかというと、運動の研究だから」
「腕が跳ね上がったりするの?」
「そう」
「面白そう! ぜひ実験に参加させてくれ」
トッサンは軽く笑って、
「ちょうど、被験者が足りてない時で。良かった。磁気刺激って聞くと、みんなびびってしまってな」
並んで自転車置き場まで歩く。
「どんな感じ、脳の研究は?」と僕が尋ねると、芝居がかった仕草で遠くを見つめ、
「学んでいくにつれ、初めのロマンチックな夢が失われていくよ」
「それって・・・・・・脳は機械に過ぎないってこと?」
「いや、そんなんじゃない。論文を書くための研究をしなくてはならないから。初めはみんな、壮大な研究計画を描くけど、そんなものは出来ないっていうこと」
後輩くんの方を向いて、「おまえのサブリミナルの研究も、飲まれたしな」
「あ、はい」
「結果の出る現実的な研究に飲まれてしまったわけ」
だいたい、言わんとするところが見えてきた。
「つまり、サブリミナルなんてのも、こまかーい部分に分割しないと研究対象にならないということ?」
「そうです、そうです」と頷く後輩くん。
「ひとりひとりに出来ることが限られすぎているってことか」
「そういうことだな」
「脳って複雑すぎて、細かい部分しか理解できないんだね」
トッサンはふたたび後輩くんの方を向いて、
「内藤先生にやたら質問しまくってたやつがいたって聞いたけど。ひょっとして、こいつ?」
後輩くんはその話を聞かされていないようだったが、僕ということにされてしまった。
「こんなやつがまだ大学に残っていたってのは、いいことだ」などと言われつつ、近日中に磁気刺激の被験者になる約束をして、別れた。
翌日、さっそくトッサンに電話をかける。
「もしもし? 僕だけど。磁気刺激の実験に参加させてよ」
「おう。今、やってるところだよ」
「今日、行ってもいい?」
「そのまま二時間くらい、いられる?」
そんなに長い実験なのか、と驚きつつ、
「大丈夫」
「なら、来いよ」
「場所は?」
夕方、院生室を訪ねると、狭い部屋の奥でトッサンが手を挙げた。
「まぁ、外でゆっくり話そうや」と言って、ロビーに出る。タバコに火を付けながら(どうもそちらがロビーに出てきた理由らしい)、
「ファラデーの法則分かるよな」
「電磁誘導の?」
「そう。つまりこの実験では、脳に磁気を当てて、電流を発生させる」
「・・・それだけ聞くと、あまりにもやばそうだな」
「運動野に磁気を当ててね。ニューロンを発火させて、筋肉を動かすんだ。ぴくりと指が動く」
「ほんとにそんなに限定して刺激できるの?」
「できる」
同意書には以下のように書かれていた。
《標準的なMRIで用いられる磁場の強さは2テスラ。この実験で使われる磁場は0.67テスラであるから、被験者への影響は極度に少ない》
「なんだ、そんなもんなんか」と僕が言うと、
「でも、重要なのは磁場の強さじゃなくて、変化率なんだな」
言われてみれば、その通りだ。磁場の変化に応じて電流が流れるというのがファラデーの法則である。
「で、こいつはMRIよりも変化率が大きいわけ?」
「ずっと大きい」
「それを書いてないってやばくない」
あらためて、実験というものの恐ろしさに畏れ入る。
「これまでに実験に参加した人数は?」
「十一人。俺自身は、3000発くらいやってるけど」
誇張ではなくて、実際に3000回、磁場をかけたということであろう。僕は何回くらい磁場を受けるのかとたずねると、0.2ヘルツで150発。つまり、5秒間に1発の間隔で、合計12分ほど浴びる計算だ。同意書を注意深く読み返している僕を横目で見ながら、
「手塚は、反応が出るかなぁ」
「出ない人って、いるのか?」
「軸策が電磁誘導の向きと平行だと、電流が流れないからね。十人に一人は、出ない。それで、出たらバイト代が四千円。出なかったら二千円」
「何なの、その差は」
「出なかった人は、その後のタスクをやってもらわないからね。だけど磁場を浴びたってことで、二千円は受け取ってもらう」
いちおう、筋は通っている。言われた通りにサインしたのに目を走らせて、
「そろそろ実験しようか」
おもむろに立ち上がった。
「単純な反射みたいなものが起きるだけだから。それほどの驚きは無いと思うよ」
あとについて、《火元管理者・内藤》と書かれた部屋に入る。奥で、大柄な内藤先生が小さなモニターに向かって作業をしていた。
「どうも。また来てしまいました」
「おー、君か。実験マニアやな」
「優秀な実験台ですよ」トッサンにからかわれる。
「fMRIの写真、まだいただけないですかね?」
「もう少し待ってよ。今、解析してるし」
「異常とか、ありました?」
「無いよ」
トッサンから僕の話を聞かされているためか、前よりも親しみやすい雰囲気だ。おそらく最初は「やたら質問しまくる宗教の人かも知れない怪しいやつ」と思われていたことだろう。
開けっぱなしのドアを抜けて、狭い実験室に入る。見たことも無いような珍妙な装置が、たくさん並んでいる。
「筋電位をとるからね」
言いながら、腕に電極を貼っていく。トッサンの後輩が入ってきて、手伝いをしてくれることになった。
「皮下脂肪、薄そうだな。うまくいかないかも知れない」
筋電位がモニターに表示される。
「痙攣してる。もうちょっと落ち着かせてくれよ」
グラフが細かく震えている。言われてみれば、筋肉がぴくぴくと小刻みに振動している気がしないでもない。静止させろと言われても、なかなか難しい。しばらく苦戦した。天井から、八の字型の装置がぶら下がっている。どこかの写真で見たことがあった。磁場を発生させる装置である。TMSと呼ぶらしい。
「どうして指だけが動くの? 他の筋肉が動かないのは何故?」
「脳の運動野では手をつかさどっている範囲が一番大きいからね。他の部分にも電気は流れてるんだけど、手がまず第一に反応する」
「なるほど」
「それから、男だとちんちんに対応する範囲が二番目に広い」
卑猥なことを言う時のにやにやした表情は昔から変わっていない。
「勝手に起き上がってしまうわけね。括約筋に対応する部分を刺激したら、うんこもれるだろうか?」
「もれるやろーな」
言いながら、準備を進めていく。モニターを指差して、
「緑の四角が見えたら、マウスをクリックする動作をしてちょうだい。青い四角なら、クリックしないで。すぐ後で緑の四角が出るからね。それを見てからクリックして。それから、赤の時もクリックしないでくれな」
クリックといっても、マウスがあるわけではない。指を動かすだけで電気が流れるから、装置で拾えるのだ。僕は被験者用の椅子に座って、
「うーん、僕って、何なんだろう?」
自問自答する。制御装置の前に立ったトッサンが、
「『僕って何なんだろう』って、思わないようにしてやるよ」
「それ、怖いな。『僕って何』って思わなくなった瞬間、『僕』は存在しなくなるものね。なにしろ、『僕』について考えなくなるんだから」
実験が始まると、黙らなくてはならない。トッサンの顔がマジになる。fMRIよりも強力だと聞いて、どきどきである。思考は吹き飛ぶのだろうか。運動野に当てるだけなので、他の部分に影響は無いそうだが。さっきから、八の字を頭のあちこちに当てて、運動野を探している。
「このへんかな」
いきなり「バチン」大きな音。頭に痛み。頭皮の中を、ペンチでつままれたような感覚。痛いというより、気持ち悪い。驚いて、
「何なの、これは」
「コイルの音。心配すんな、俺らにも聞こえているから」
「音だけじゃなくて。頭皮の中をつままれたような気がするんだけど」
「頭皮の筋肉――つまり、表情筋――に電流が流れて、収縮するわけよ」
何度かのパチンを繰り返して、やがて手がぴくりと動く場所が見つかった。
「あった、あった。良かった。異常じゃなかった」制御装置になにやら入力して、「クリック、よろしくな」
緑の四角が表示されると同時に、パチンが来る。僕はすぐに反応できないから、数秒遅れてクリックすることになる。
手は、言われてみればびくんと動いているように感じられる。だが、頭のバチンの刺激が強すぎて、手が動くという事実があまり強く意識されない。まるで頭皮が動いた振動が伝わって手が動いているようだ。操り人形のように、手と頭が結ばれている気持ちになる。
「どうよ?」
「うーん・・・運動野って、末梢からすごく近いんだな、って思った」
「筋肉から運動野への伝達は、脊髄で一回中継されるだけだからね」
何度も緑の四角を見て、何度もクリックした。繰り返しているうちに、今起きていることが、ごく普通の出来事のように感じられてきた。頭と手が、つながっているだけではないか。
天井からぶら下がっている八の字を見上げる。頭に磁気があるという状態と、手が動いているという状態。どちらも観察対象だ。そのふたつが共に起きるということ。それは、世界に存在する無数の対応のひとつに過ぎないのではないのか。
さらに突き詰めて考えれば、思考と脳の状態との対応も、ただの対応関係であると言えないこともない。実際、『思考された内容』とは、『対象』のひとつである。対象が対象と対応しているだけだ。脳と対応しているのは、思考する働きではなく、思考された結果である。
実験の後半は、少々眠かった。頭をつねられる感覚は、最後まで気持ち悪かった。
トッサンと研究室を出て、ロビーのソファに腰掛けた。すでに、薄暗い。暗い中で話していると、深い話をしているような気がしてくる。
「磁場を当てる場所によっては、いろいろ面白いものが見えたりするらしい」トッサンがタバコに火をつけた。「言語野を刺激すると、磁場をかけた瞬間、本を読み飛ばしてしまったりな」
「すげえ」
「視覚野に当てると、フラクタル図形が見える。5テスラ×5ヘルツくらいの、連続のTMS」
「連続のTMS?」
「repeatable TMS。rTMSとも言う。うちに無いけどね。すごいのが、側頭葉てんかん。焦げ臭い匂いの後で、臨死体験をする」
さらりと言ったが、臨死体験って、そんなカンタンに出来るものなのか?
「磁場の強さは?」
「7テスラくらいかな。神が見えるらしいぜ。日本人なら、ブッダが見えるらしい」
「やらせてよ」
「うちの機械じゃ無理。パワーが弱すぎる。マックス0.67テスラだからね」
「ここではrTMSをやれないってこと?」
「総合人間学部倫理委員会ってのがあってさ」
「そいつが厳しいわけか」
「文系の先生がうるさいんだな。『人間の頭に磁石を当てるなんて!』とか言って」
文系と理系が混在する総合人間学部の特徴がこんなところで裏目に出ているわけか。
「船橋先生もTMSは嫌いでさ」
名前だけ聞いたことのある先生。トッサンや井上の所属している、環境適応論の先生だ。
「じゃあ、船橋先生は何を使って実験してるわけ?」
「猿」
「サルならいいのか! 船橋先生は、サルには意識が無いと思っているわけ?」
「どうなんだろね」軽く受け流された。「でも、rTMSはヤバいってみんな言ってる。RTMSの有名な研究者が、講演会の最中に倒れたりしたらしい。それから別の研究者は初め、性格がすごくきつかったのだけど、いつの間にか丸い人になってしまった」
「それ、ほんとにrTMSのせいなのか?」
「みんな、身を削って実験しているわけよ」
自虐的な笑い。3000発のTMSを打ち込んだ脳ミソ。
「半側性無視ってのも、すごい。世界の半分が存在しなくなっちまう。食べ物を両側に置いても、片側のしか、食べなくなる」
カナダに半側性無視研究の権威がいるのだが、かなりぶっ飛んだ人らしい。
「脳梁切断とかも、面白そうだけどな」
自我がふたつになるという話である。これについては、僕もいろいろ考えたことがある。やってみたいが、そこから何か新しいひらめきが生まれるかどうかは定かでない。
ふと思い出して、内藤先生から聞いた、イギリスの哲学者の話をする。
「その人、意識はゼロだって言ってるらしいよ」
トッサンはにやにやと笑って、
「そういうのを、業界用語で、『ホトケになる』って言うんだな」
「どういう意味?」
「神経生理学者で、すごく多い。若い頃は地道に実証的な研究していたのに、途中からわけわからないことを言い出して。誰からも相手にされなくなる」
僕が名前を覚えられなかったある外国の研究者について、視覚の分野で大きな業績をあげたのだが、今では意識について熱く語っているらしい。この現象について、僕は自分なりの説明を試みた。
「たぶん、みんな最初から意識に興味を持っているんじゃないかな。だけど、若いうちは実証的な研究をしないと有名になれない。最初っからホトケみたいなことを言っている研究者は、そもそも有名にならないんだよ。だからある程度有名になった研究者は、昔からやりたかった意識の研究を始める。するとまわりから『あいつはホトケになった』と言われる。本人は幸せなんじゃないの? ようやく、やりたいことがやれたって感じで」
「そうかも知れないな」灰皿で火をもみ消し、ソファに寄りかかって大きく伸びをして、「rTMS面白そうだけどなー。脳の高次機能をいじくれてさ。フラクタル図形、見てぇ・・・半側性無視も、体験してえな」
「カナダ、行ったらいいじゃない」
「でも、ホトケになっちまうよ」
「なったらいいよ」
トッサンは僕をじっと見て、
「手塚は脳梁切断が向いているかも知れん」
何を基準に言っているんだか。
「脳梁を切っても、何も変わらへんて。僕がふたりになるだけの話や」
トッサンは脳梁切断がどのように感じられるのか、強く興味を持っているようであった。僕は昔、『死ぬのが怖い王様の話』という御伽噺を書いたことがある。そっくり同じ形の脳を作ったら、どうなるかという思考実験。意識をふたつにするという意味では、脳梁切断と共通する。その晩、トッサンにメールで送っておいた。
数日後、井上と便所で会った。この前よりも、無精ひげが伸びている。
「トッサンの実験に参加してきたぜ」と声をかけると、
「おー、そうか」人の良さそうな眼を丸くした。すでに、トッサンの研究内容を知っていた。
「どう思ったよ?」
「脳の中にも、すごく機械的な部分があるんだなーって思っだ」
「そうやで」
「運動野って、ものすごく末梢なんだね。なら、その奥には何があるのか」
「気になるな」
「意識って、何だと思う?」
井上は便所の壁に寄りかかって、
「やっぱ・・・記憶だと思うな」
「でもな・・・思い出している記憶と、思い出していない記憶との区別があるやん。その違いを作るのは、何なわけ?」
「そういや、そうやな」
「脳にはたくさんの情報があるはずなのに、思い出されているのはその一部だけ。何かと結びついた時に、思い出されるのか。だとしたら、その結びつく先を『意識』と呼べるのではないか」
「・・・・・・普段から、思い出しているのとちゃう? いろんな場所で変化が起きていて・・・だけどそれはあやういものでさ・・・その中の一部だけが・・・」
「でもやっぱり、ある部分だけが意識されている、ってことじゃない」
畳みかけるように言ってみた。うーん、と顎を押さえて考え込む井上。突然、堰を切ったように話し出す。
「何かに集中しているときは、意識について考えてへん。たまたま、自分の内側を見ていることがあって、それを意識って呼んでいるだけじゃないのか?」
「そうそう。それから、意識されていないものは、無いかも知れんのよ。でも、あると信じている。そういうものなんだろうな」
井上は何度か頷いて、
「トッサンとこんな話、したん?」
「した」
「何って言ってた?」
「そんなこと考えてたら、ホトケになるって」
「ホトケ?」
知らないようなので、『ホトケになる』の意味を説明する。
「ある程度の年齢になると、みんなホトケになるらしい」
それを聞いた井上、便所の外を伺いながら、
「うちの先生も、その傾向があるかも知れん」冗談めかして言った。
「小林先生もそうなんだ。船橋先生もそうらしいけど」
「船橋先生もホトケなんか? オレはそうは思わんぞ。この前、授業受けた時にな、『脳の研究を進めたら、脳についてすべて分かるんですか』って聞いたら。『すべてわかります』って、まじめな顔で答えとったし。『すげえ、この人は科学者や』って思ったんやけど」
「ほー」
僕の聞き間違いか、トッサンの評価間違いか。
「脳を物として扱っている間は、実験や解剖に打ち込んでいられるんだろうけど。自分の問題として捉え始めたら、ホトケになるしかないんやろな」
「人それぞれの形で、脳という物体と、自分の意識とをつなげるってことかな。それは、論理学?」
「というより、哲学じゃないか」
論理学ももちろん重要だが。
「哲学の世界では、意識の前に経験がある、っていう考え方があるよね。主体と客体、意識と対象なんて区別は、そういう分け方を教えられたから使っているだけであって。意識について考えず、あくまで対象に徹することにしたら、船橋先生のようになれるんだろうね」
「そうやな。脳の地図を描くことに専念するわけやな」
「そういうこと。ということは、意識問題に対する解決、出たな」
脳と意識を結びつけて考える以前に、僕らはまだ脳についてあまりにも少ししか知らない。
℃ Taro Tezuka 2002 (2002.7.29)
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