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【体験報告】 京都市長候補・蜷川澄村氏と交差点を挟んで街頭トークバトル
京都市南区で駐車場を経営している蜷川澄村氏は、完全無所属・完全無党派を貫き孤軍奮闘を続ける異色の街頭演説家である。衆院選・府議選・京都市長選と続けざまに立候補し、常人には思いつかないような画期的な政策を提案することで知られている。いわく、「京都市の職員はすべて高齢者が行なうようにする」「京都大学を改組して『ゴミ処理総合大学』を作り、日本中のゴミを集めて資源の再利用を研究させる」「ビルの側面も土地とみなし、売り買いできるようにする」「京都駅から北山通りまで、およそ7キロの動く歩道を設置する」等々、常に独創的な政策を打ち出し、京都政界に嵐を巻き起こしている。今回、この蜷川澄村氏に対し、四条河原町の交差点を挟んでの街頭討論会をお願いした。蜷川氏は青少年の政治活動に大きな期待を抱いているため、快諾してもらえた。 討論会が行なわれたのは平成12年4月16日。麗らかな春の日差しの下、二台の街宣車が九条大宮の蜷川澄村邸を出発した。車からは蜷川氏の選挙活動のテーマソングである「ひょっこりひょうたん島」が大音量で流される。「選挙では中高年層にターゲットを絞らなくては」というのが蜷川氏の持論である。 四条河原町で待っていた関係者一同は、蜷川氏の到着に爆笑。滑り出しは快調だ。蜷川号は交差点に面した富士銀行前に停車、そして車を降りいきなり演説を始める蜷川氏。手馴れたものである。対抗する青少年号は、阪急デパート前に停車した。時刻はちょうどお昼前。通行人も多い。我々青少年グループは短い打ち合わせを行ない、まずはT塚とSキが車上の演説台に上がった。 最初のテーマは、セクハラについて。 「蜷川さんは最近、セクハラ疑惑を理由に大阪府知事を辞めた横山ノック氏を擁護されるような発言を繰り返しておられますが、その理由は何なのでしょうか」 この質問に対し、蜷川氏は独自の過激な考えを披露。 「セクハラされたということは、美人だと認められたということだ。だから女は怒るのではなく、喜ばなければならない。 「セクハラされることを女が喜べるようにするためにも、ブスな女はセクハラという言葉を使ってはならない」 つづいて、蜷川氏が主張する老人ホーム=姥捨て山論や、京都市内のタクシーはすべて地下を走らせるという構想を巡って討論が行なわれた。蜷川氏は神社の神主の資格も持っているとかで、演説はまるで祝詞を唱えるかのような独特の抑揚があり、はっきりいって聞き取りにくい。その上、話しはじめると、止まらない。本人でも止められないのではないかと思うほどだ。 「ブスは、セクハラと言うな。私はそう言いたい」 途中、右翼の車が蜷川氏の街宣車のすぐ横に停まった時は、一巻の終わりかと思った。しかし何のことはない、信号待ちで停まっただけであって、そのまま通りすぎてしまった。 ここでSキは何を思ったか、「右翼の皆さん!」と突然呼びかけ、運転していた右翼がこっちをギロっと睨んだが、その後ふたたびやってくることはなかった。その上さらに、高島屋の前で募金活動を行なっている公明党を討論会に巻き込もうと画策。 「福祉政策に重点を置かれている公明党の皆さんは、蜷川氏の福祉構想についてどう思われるのですか?」と拡声器を通して尋ねていたりしたが、完全に無視されてしまった。 続いて演説台に立ったY口は、 「蜷川さんは本当に選挙に当選する気があるのか?」 と、剛直球の質問。しかし蜷川氏は、 「当選するための選挙をしてどうする? まず自分が正しいと思うことを主張して、民意を問うのだ」 それなりに理にかなった主張と思われた。さらにK関も壇上に立ち、「土地問題解決のために、ビルの側面を売れるようにする」という蜷川氏の政策を批判した。その頃、T塚は公明党の車のところに行って、討論会に参加してもらえないかとお願いしていたのだが、 「募金活動でしか許可を取っていませんので」 断られてしまった。宇治市会議員の方であった。いつか討論会しましょうとお願いし、名刺を交換したので、近々連絡が来るかも知れない。 さて壇上では、蜷川氏の冒険的な政策に対して、「財源はどうするのか?」と、非常に現実的な問いが投げかけられていた。蜷川氏は、 「それについては、新しい考え方をしなくてはならない」 「しかし、いくら新しい考えであっても、まずは財源が無くては実現できないでしょう?」 「いや、だから、そういった考えを捨て、新しい考え方をしなくてはならない」 これを繰り返すばかりであった。 かくして一時間に及ぶトークバトルは、何のトラブルも起こさず無事終了した。反省すべき点といえば、交差点の対角に位置しての討論会だったため、音がビルに反響してお互いにとても聴き取りにくかったこと。また、充分な議論も出来ていないのに、議題をころころ変えてしまったのも、良くなかったと思われる。通行人の方々がどのように感じられたかはわからないが、街頭で討論するというスタイルは、人々に政治や政策に興味を持ってもらうための手段として、通常の演説以上の効果があると考えられる。案外、これを目撃した他の政治家が、真似をするかも知れない。日本の政治風土に一石を投じられたのではないかと思う。
℃ Taro Tezuka 2000 (2000年4月16日) |
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