東アジア

研究生、すなわち院試を受けるために勉強している学生がうちの研究室には2人いて、
ひとりは韓国から、もうひとりは中国から来ている。

偶然ふたりとも苗字が同じなのだが、韓国語読みと中国語読みの違いがある。
KムさんとKンさんである。(伏せ字の意味なし)。

このふたり、研究室に来たばかりの頃から僕には分からない言葉で会話していて、
いったい何語で話しているのだろうと思っていたら、
実は独特の発音の日本語で話していることに気付いた。

僕は自分の迂闊さを笑うとともに、
日本語が共通語として使われているという状況になんだか愉快なものを感じた。

この話を研究室のM上くんに話したら、

「いや、そうじゃなくて、Kンさんは在中朝鮮人で、
 瀋陽の朝鮮人学校に通っていたんですよ。
 だからふたりは初め、韓国語で話してたんです。
 途中から日本語に変わったけど」

という、さらなるオチが待っていた。

中国に韓国/朝鮮語を話す人たちがたくさん暮らしていることは
ひとつの地理的事実として知っていたものの、
身近なところでそんな人と出会うと、
民族のダイナミックな移動や拡散を肌で感じ、興味深かった。

国民国家の虚構性や国境線のナンセンスさを思ったというよりは、
そんなものをひょいと飛び越えてしまう、
言語というか文化というか、その生きた姿に感銘を受けた。

そして東アジアの地図が僕の頭の中で再描画された。

℃ Taro Tezuka (2002.1.28)

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