【思ったこと】
愛の病
愛知県犬山市の霊長類研究所で毎年開かれている公開講座に参加し、
天才チンパンジーのアイちゃんを育てたことで有名な松沢先生の講演を聞いてきた。
母親に育児放棄されてしまったチンパンジーの子供を自分の娘と一緒に育てたというほどのチンパンジー好き。というより、優れた研究者。
今回の講演テーマは野生チンパンジーの観察ということで、
ギニアのボッソウという場所で松沢先生が十年前に撮影したビデオを上映。
ジレという名の母親チンパンジーに、ジャクロという名の娘がいた。
だがジャクロは流行性の感冒で死んでしまった。
すると母親は死んだ娘の遺体を背負い、生きていた時と同じようにどこへでも運んでまわる。
乾季なので、次第にミイラ化していく娘。強烈な悪臭。だが、母は気にしない。
ハエがたかると、追い払う。ウジが湧いたら、つまんで取ってやる。
群れのボスがやってきて、母親からミイラを奪い、地面の上を引きずりまわす。
「その仕草は乱暴ではありません。愛情が感じられます」と松沢先生がコメントする。
ジャクロのかつての遊び友達も、ミイラになったジャクロを木から落として遊ぶ。
「これは、一緒に遊んでいるのです」と松沢先生。
普通の人間には理解できないが、松沢先生はそこにチンパンジー式の友情を見抜く。
最後まで母親がミイラを背負ったまま、ビデオは終わった。
質疑応答の際、僕は松沢先生に質問した。
「結局、ミイラ化した子供はどうなったんですか」
「私が撮影したのは十年前なのですが、日本に帰る日が来てしまったので、その先は撮影できませんでした。ふたたび十ヶ月後に戻ってきた時には、もう背負っていませんでした。これは想像ですが、雨季になってミイラが腐り始めて、腕がとれて足がとれて。頭だけになった時、もう子供と思えなくなって、背負うのをやめてしまったのではないでしょうか。実はあれから十年後にもジレは子供を亡くしました。その時も死んだ子供を背負っていたため、院生にずっと観察してもらったのですが、最後は群れのケンカに巻き込まれ、ミイラを草むらに落としてしまい、必死になって探したが見つけられず、あきらめたようです。ミイラになって時間が経つと、匂いもなくなってしまいますから」
「では、死んだ子供を背負わない時はどうなるんですか。死んだ場所にほったらかしなのですか」
「私たちはボッソウで子供チンパンジーが死ぬのに三回出くわしましたが、三回とも、母親は死んだ子供を背負っていました。だから、これはボッソウの文化なのではないかとも考えています」
その時はそのまま聞き流してしまったが、あとになってふと違和感を覚えた。
文化? 死んだ子供を背負うのが、文化? 本能的な愛情ではなくて?
まわりがしているから、自分もミイラを背負おうと思う?
講演会の終了後、会場に残っていた松沢先生に訊いた。
「死んだ子供を背負うのが文化というのは、本当なんでしょうか」
「他の群れではしませんからね。ボッソウではみんなするのに」
「愛情が文化的に形成されているというのが、不思議な気がします」
不思議というより、皮肉と言うべきか。
僕らのやりとりを聞いていたおばさんが途中で会話に入ってきた。
「私は社会福祉の仕事をしているのですが、群れで子供を育てるということがドメスティックバイオレンスの解決につながるのではないかと考えています」
「そうかも知れませんね。野生のチンパンジーにはドメスティックバイオレンスがありません。子供を叩いたりしませんよ」
「でも、育児放棄することはあるんですよね。先生は育児放棄されたチンパンジーの赤ちゃんを育てられたことがあるとか」
「それは母親が野生じゃない場合です。人間に飼育されたチンパンジーは、自分の子供が寄ってきてもギャーと叫んで育児拒否することがあるんです」
僕は横から口を挟んだ。
「ということは、ひょっとしたら子供への愛情も文化的なものだということですか」
「ひょっとしてじゃなく、間違いなくそうでしょうね」
おばさんいわく、
「すべて文化、ですか」
「一部文化。生後に獲得される部分があるということです」
同じことが人間に関しても言えるだろうか。
子供をかわいがる母親を見ていると、自分の中でも愛情が高まってくるということ。
愛情が伝染するということ。 あるかも知れない。
商品の購買意欲が他人によって喚起されることは当然あると思うが、
愛情まで伝染したり流行したりするものだったとは。
℃ Taro Tezuka (2004.8.22)
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